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2010年1月16日 (土)

表記と無形文化財

前回は、私がつい妥協的精神を発揮してしまったおかげで、訓読みの漢字使用について弁明に追われるはめに陥った。

ついでだから、もうひとつの妥協についてもこの際開き直っておこう。

もうひとつの妥協というのは熟字訓のことである。

いつだったか忘れたけれども、「時雨」や「紫陽花」といった熟字訓には日本人の美意識がうかがわれて好ましい、というお話をした。

このことも、漢語は漢字で和語はかなで、というルールからすれば妥協の部類に入る。

どうして「流行る」や「美味しい」はだめで「時雨」や「紫陽花」はいいのだ、どちらも字音を無視した使いかたでは同じでなないか、というわけである。

たしかにその通りだ。

しかし、ここまで字音からかけ離れてしまっては、逆にすっきり割り切ることもできる。

こうした熟字訓を前にしては、字音とのかかわりなどうんぬんするのは野暮というものである。
ここは一種の文化財、表記のアートとして考えたい。

書道だって、名人の手は見事すぎて何の字かわからない。
つまり文字本来の役目を果たしていないのだが、芸術としてはりっぱに通用する。

熟字訓は、ことばが持つ音と意味を文字で伝えるという表記の役割を離れて、ひとつの芸術あるいは文化財として愉しめばいいのだ。

思えば日本語話者は、漢字をありがたい文字として尊重し実用に供するだけではなかった。
アートや文化財やおもちゃとしても扱ってきた。

それに、漢検のように文字そのものがりっぱにビジネスの対象にもなる。

こんな文字圏は他に例がない。
英語圏ではローマ字検定など成り立たないのだ。

同じように、英語圏ではローマ字をテーマにしたドラマなど考えることもできない。
しかるに本邦では文字をテーマにした連続テレビドラマがりっぱに成り立つのだ。
(うそだと思う方は、NHK木曜夜8時「とめはねっ!」を見てくださいね。)

漢字のことだけではない。
三種の異なった文字体系を混用する日本語の表記システムそのものが、世界に歴史上類を見ない無形文化財といっていい。

世界文化遺産に登録する値打ちは十分あると思うのだが、いかがだろう?

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