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2009年12月13日 (日)

「まな」と「かな」(その4)

ワープロが標準の筆記具になった今日では、表記に関してはワープロに主導権を握られている。

前回記事ではそんなお話をした。

しかし、ケータイの世界になると「主導権を握られる」どころの生やさしい話ではない。

なにしろ、「こ」という文字を入力するだけで「今晩」以下持ち主の使用状況に応じた語の候補がずらりと画面下に表示される。
わたしたちはその中から選ぶだけでいい。

表記どころかケータイが先回りして語を見つくろってくれるのだ。

だから若い人は目にもとまらぬ早わざでメールを送ることができる。
ふさわしい表記、ふさわしい語の選択など何も考えなくていい。

何という便利な世の中になったことだろう!

手書きの時代だと、こうはいかなかった。

「インフルエンザが…」と書いたところで、はたと手が止まる。

「流行る」と書いていいのかどうか?
こんな漢字の使いかたはありなのか?
やはり「はやる」と書くべきではないか?

表記のことなど考えなくていいローマ字圏にはない書き手の葛藤が、そこにはある。

結論は各自まちまちだが、いずれにせよ手書きは書き手に表記への内省を迫る。
そして、表記への内省はおのずから表記に関する規範意識を生む。

もちろん、その規範は人それぞれだ。

「漢字=まな」意識の濃淡に応じて、漢字の多用に向かう人もいれば漢字の使用を控えめにする人もいる。
しかし、自分なりの規範らしきものを持っていることには変わりはない。

ワープロやケータイの時代になって、書き手の葛藤を経た規範形成のきっかけがすっかり失われたのだ。

このことは日本語の書きことばの将来と無関係ではない。

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