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2009年11月22日 (日)

「まな」と「かな」

ハングルはむかし「諺文」(おんもん)と呼ばれていた。

卑俗な文字、という意味だそうだ。
「真名」である漢字に対してへりくだった呼び名である。
その意味では本邦の「仮名」と同じ立場にあった。

もっぱら庶民や女こどもが用いる文字である。
その点では、ヒエログリフに対するデモテックにも似ている。

だから、韓ドラの王宮の場面では漢文の掛け軸しか映らない。

もうひとつの漢字圏、ベトナムにも漢字からチュノムが生まれた。
考えてみれば、漢字を受け入れた言語圏は例外なく漢字以外の文字を作り出している。

他の文字圏、たとえばローマ字圏やアラビア語圏、テーバナーガリー文字圏などでは見ることのできない現象だ。

文字そのものが意味を持ってしまった漢字は、中国語以外の言語圏では表記ツールとしてはどうしても完全には適合できないのだ。

だから、そのずれや齟齬を埋め、不都合をとりつくろうためにカナが生まれ、ハングルが生まれ、チュノムが生まれる。

ここまでは同じだけれど、これらの文字たちのその後の運命はずいぶん違った。

へりくだっていたハングルは今や「大いなる文字」である。
今日の韓国語の表記体系の中では、漢字は補助的、注釈的な役割を果たしているにすぎない。
「まな」と「かな」の関係がみごとに逆転してしまったのですね。

一方、ベトナムでは政治的な要因もあって「まな」も「かな」ももろともに消滅してしまった。
今はローマ字に完全に置き換わっている。

この点、本邦では「まな」も「かな」もいまだ健在である。
漢字=「まな」の意識も健在である。

だから、ベトナムや韓国・朝鮮とちがって日本語と漢字表記との間の齟齬やずれも健在である。
難読の地名や人名がそのことを雄弁に物語っている。

しかし、齟齬やずれがあるからだめ、ということにもならない。
齟齬やずれをわざと温存し、それを愉しんでいるところがある。

日本語話者の文化的なしたたかさ、とでも言うべきだろうか?

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コメント

かげやまさま

うーむ、痛いところを突かれましたね。

たしかに、「認識のずれ」という言い方もあって抽象的な事柄にも転用されるので、「齟齬」とどこが違うの、と言われれば説明に窮してしまいます。

このブログは学術論文ではないので、ことばづかいが厳密ではありません。
散歩気分で気楽に書いているところがあるので、つい類似のことばが重複してしまったのでしょう。

しかし、「齟齬」といういかめしい漢語だけでは表せない部分、「ずれ」という素朴な和語だけでも表せない部分が、漢字と日本語との関係にはある、という直感が私の中にあったのでしょう。
その心理が似た言葉の重複使用につながったのだと思います。
もっとも、これはあとづけの知恵ですが…。

それにしても、「齟齬」と「ずれ」の視覚的な対比も面白いと思いませんか?

右手に「齟齬」を持ち左手に「ずれ」を持つ日本語の書き手は世界一ぜいたくかもしれませんね。

投稿: しおかぜ | 2009年12月17日 (木) 11時24分

とても興味深く拝読させてもらっています。ところで文中の「ズレと齟齬」について私もよく使う言葉、表現ですが、ズレと齟齬は同じなのになぜ重ねて使うのか?という指摘がありました。私としてはズレは目に見える違いそのもので齟齬はそれ以外も含めた抽象的なものという意味あいで用いたりしますが、ここで用いられている言葉における齟齬とズレを教えて頂きたくメールしました。

投稿: かげやま ゆき | 2009年12月16日 (水) 00時28分

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