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2009年11月30日 (月)

「まな」と「かな」(その2)

おとなりの朝鮮半島では、かつて漢字に対して「諺文」とへりくだっていたハングルがいまや「大いなる文字」である。
「まな」と「かな」の関係がみごとに逆転してしまったのだ。

しかし、日本列島ではそうはならなかった。

「かな」が生まれてから千年以上の歳月をかぞえたけれども、「かな」はいまだに「かな」のままである。

漢字=真名=「まな」は、本来の文字、正統の文字。
仮名=「かな」は、かりそめの文字、間に合わせの文字。

そんな文字意識がおはぎちゃん以来、連綿と受け継がれてきた。

朝鮮半島と日本列島ではどこが違ったのだろう?

仮説として、次のようなことは考えられる。

ハングルは漢字とは関係なく独立の意志のもとに考案された。
漢字そのものには手をつけなかった。

これに対して、「かな」は漢字を変形したり一部を切り取ったりして作られた。
つまり、漢字がなければ「かな」も生まれなかった。

「かな」はその出自からして漢字に従属する運命を背負わされたのだ。
漢字から生まれた不完全な子どもは親に対して一生頭が上がらない。

日本語の書き手としても、勝手に漢字を変形したり切り取ったりしたことに対して後ろめたい気分があるのかもしれない。

明治以降のカナモジ運動も、結局大きく広がることはなかった。
それどころか国語政策における漢字制限も、このところ、じわり、じわりといった感じで後退を続けている。

ともあれ、千年前漢字から生まれた2種の文字セットに対して、わたしたちが「かな」という呼び名を与えたことでもう勝負は決まったのだ。

当時、漢字の圧倒的な権威と存在感の前でへりくだるほかなかったのはわかる。
しかし、いまさら仕方ないことだけれども、ほかに名づけようはなかったのだろうか?

たとえば、漢字=真名に対して、われらの文字=吾名にするとか。

しかし、「吾名」は音声化するなら「わな」あるいは「あな」になる。

うーむ、どちらにしても聞こえが良くない。
残念ながら、このアイデアは使えませんね。

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