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2009年10月25日 (日)

漢字と名前(その4)

もしもこの世に漢字がなければ日本人の名前はどうなっていただろう…?

という仮定について考えてみたのが前回のお話だった。

しかし漢字が日本列島に渡ってきたのは約2千年前、と言われているからこのことは別に仮定の話でもない。

無文字時代の日本人の名前はどうだったのだろう?
文字がないからといって、まさか名無しの権兵衛さんばかりだったわけでもあるまい。

この問題に対する手がかりは、やはり古事記や日本書紀に登場する神さまや里人の名前だろうか?

「オホヤマツミ」、「スサノヲ」、「クシナダヒメ」、「テナヅチ」…。
そんな名を口ずさんでいると、なんとなくアルカイックな気分になる。

あるいは「卑弥呼」が登場する「魏志倭人伝」のような中国の史書から逆に推論するとか?
だが、「卑弥呼」が今のわたしたちが考える名前と同じような性質のものであったという保証はない。

たとえば彼女が少女だったころ、近所の子どもたちが「ひみこちゃん、あそぼ!」と呼びかけたという史実は伝わっていない。

佐藤さとるさんの『だれも知らない小さな国』はコロボックルが活躍するお話だが、そこでは「ツバキノヒコ」や「ハギノヒメ」といった名前が登場する。

何の根拠もないけれど、わたしたちの祖先の名前は案外こんなだったかもしれない。

そのころは人間の存在も自然環境と一体化していたから、身の回りの具体的な事物にちなんだ名前をつけるのがごく自然のおこないだった。

今でも百歳を超えたおばあさんには「ウシ」とか「トラ」とか「シカ」という名前がある。

牛の豊穣さにあやかりたいから「ウシ」と名付ける。
トラの強さにあやかりたいから「トラ」と名付ける。

素朴といえばずいぶん素朴な命名法だが、そんな名前の人がまだ現存するのだから、はるかな昔のことでもない。

オリジナリティを追求したあげくの凝った名前、漢字を駆使した難読の名前というのはむしろごく最近の現象かもしれない。

キャラが立つ、というのは最近の言いかただろうけれど、若いお父さんやお母さんはわが子のキャラが立つことに心を砕く。
その手はじめが命名というわけだ。

わが子の命名に知恵を絞るというのは親の特権的な愉しみである。

しかし最近の親たちは、「個性」、「キャラクター」、「オリジナリティ」という観念から自由になることはむずかしい。
これはこれで結構プレッシャーなのだ。

漢字がなかった時代、「ウシ」さんや「トラ」さんの時代、「ハギノヒメ」の時代がふとなつかしくなる。

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