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2009年9月26日 (土)

文字の迷宮(その2)

前回、「迷宮」ということばを持ち出したことで、ずっと以前に「文字の迷宮」という記事をエントリーしたことを思い出した。

「東海林」さんや「放出」という地名もその頃に紹介している。

どうもこのところ、以前とよくにた話題を取り上げているような気がする。
寄る年波のせいで、無意識に繰り返しが多くなっているのだろうか?

しかし、それもだいぶ昔のことで既読のかたは少ないと思うし、まったく同じというわけじゃない。
ということでご勘弁をお願いして、先に進もう。

中国語とまったく異なる言語圏に進出したという点では、ベトナムや韓国・朝鮮における漢字も同じである。

では、かの地でも同じような文字の迷宮が出現したのだろうか?

たとえば、「行」という漢字がある。
日本語における漢字には幾通りもの読みがある例としてよく挙げられる。

かつての漢字圏である韓国・朝鮮やベトナムでも同じような多種の読みがあったのだろうか?

また、音を捨てた熟字訓が存在したのだろうか?
万葉がなのように意味を捨て音だけを用いる例があったのだろうか?
判じものめいた地名や人名があるのだろうか?
漢字をだしにしたクイズやパズルが繁盛していたのだろうか?

調べたわけではないのでうかつなことは言えない。
しかし、かりに「ない」としよう。

だとすれば、同じ異郷における漢字でありながらどうして日本においてだけこうした文字のアナーキズムが生まれたのか、というのが次の問題になる。

これもまた以前お話したことだけれど、漢字に対する日本語話者の態度はアンビバレントである。

頼りたいけど離れたい。
離れたいけど頼りたい。

ときにはうっとうしい重荷。
でも、ときには愉しいおもちゃ。

真名として尊ぶかと思えば、寡黙なのをいいことにしたい放題。

漢字に対するこうした間合いや距離感は日本語話者独特のものだと思う。
ベトナムでも韓国でも見られない。

さらに一歩を進めて、ではどうして日本においてだけ漢字に対するこのような距離の取りかたが可能だったのかと言えば…。

あっ、これもついさきごろ話題に取り上げたばかりでしたね。
だから、今回は割愛!

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