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2009年8月 3日 (月)

「かりもの」と「かりのもの」

「漢字」も「ローマ字」も当たり前のことだけれど日本語である。

英語にも「Roman alphabet」という呼びかたはあるが、ふつうは「Latin alphabet」と言うらしい。

それまで変遷を重ねてきたその字形がローマ帝国に至ってほぼ現在の形に定着したこと、そしてローマ軍の遠征に伴ってヨーロッパ各地に広がったことなどから、本邦では「ローマ字」と称するのが一般的になった。

「漢字」も中国から伝わった文字だから、わたしたち日本語話者はこう呼ぶようになった。
しかし、本場の中国語話者は自分たちが日常使っている文字のことを「中国の文字」と呼ぶのだろうか?

つまり、前に漢字もローマ字も「帝国」の名を冠している、とお話ししたのは日本語の世界に限って成り立つことなのだ。

私は知らず知らず日本語の小さな檻の中だけで発想していた。
こういう視野の狭いことではいかん。

ついでだから、かなの呼びかたについてもふれておこう。

カタカナは、複雑な漢字の一部分(カタ)をとって作った文字だから「カタカナ」。
ひらがなは、むずかしい漢字をわかりやすく(ひらたく)して作った文字だから「ひらがな」。

しかし、どちらもしょせん仮の名(文字)、つまり「かな(仮名)」でしかない。
その場しのぎの、間に合わせの文字である。

正統な文字、真名である漢字に対して、かなはそんな風にへりくだっている。

ローマ字も「Latin alphabet」というからには、英語圏やドイツ語圏の人々にとっては自前の文字ではない。
日本と同じく自前の文字がないものだから、よそからやってきた借りものの文字で間に合わせることにした。

考えてみれば、世界の大多数の人々にとって文字は「借りもの」であり「仮のもの」なのだ。

わたしたちにとって、話しことばは自分の身体の一部、という感覚がある。
しかし書きことば、文字との関係はどこかよそよそしい。

だから、韓国・朝鮮やベトナム、トルコのように都合が悪くなれば別の文字体系に乗り換えることにさほど躊躇しない。

日本語だって、かつてはローマ字化やカナモジ化が大まじめで議論された。
もし日本のお隣がアラビア語圏だったら、いまごろ日本語はアラビア文字で表記されていた可能性が高い。

言語と表記の関係は多分に便宜的なものだ。
かりそめの関係を結んでいるにすぎない。

だから、「漢字かなまじり」という日本語表記の基本ルールも長い目で見ればこの先どうなるか、だれにもわからない。

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