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2009年8月23日 (日)

「T」か「D」か?

前回、関西大学の「関西」と関西学院大学の「関西」とはちがう、というお話をした。
しかし、このちがいはローマ字やかな表記にしない限りあらわにならない。

先日、朝日新聞日曜版の片隅に小さな訂正記事を見つけた。いわく、

7月25日付「柳田国男」の記事で、「柳田」のルビが「やなぎだ」とあるのは「やなぎた」の誤りでした。訂正します。

うーむ。きびしい…。

たしかに人の名前をまちがえるというのは、大変失礼なことである。
でも、これを「誤り」というのはちょっと酷だと思いませんか?

「関西」と同じで「柳田」が漢字表記だけだったら、問題は表面化しなかった。
訂正記事など出す必要はなかった。

朝日新聞にしてみれば、親切にルビをふったことがかえってあだになったという気分かもしれない。

この問題の焦点は、「田」に連濁が発生するかどうか、ということである。
4音節目の子音が「T」になるか「D」になるか、ということである。

しかし、これはどちらが正しいかではなく、人それぞれの発音上の「くせ」に属する問題だと思う。

実は私の姓も柳田さんと同じく、漢字2文字で4音節である。
そして、3音節目に連濁が発生する可能性がある。

私の名を呼ぶとき、3音節目の子音が「K」になる人もいれば、「G」になる人もいる。

同じように、第1音節にアクセントをつける人もいれば、第2音節にアクセントをつける人もいる。アクセントがまるでない人もいる。

これらはみな、その人その人の発音上の「くせ」なのだ。
生まれ育った土地や家庭の言語環境、発声器官の構造特性、音感などによって組み立てられた、人それぞれの「個性」なのだ。

私はその「個性」を尊重したい。
連濁の有無程度のちがいにはこだわらない。

だから、「K」であれ「G」であれ、きげんよく返事をしている。

でも、世の中にはこだわりの強い人も少なくない。
何しろ名前のことだから、そんな人に対しては私もごめんなさいと謝るしかない。

しかし、謝りながらも釈然としないところが残る。

実際、世間一般には「やなぎだ」と呼ぶほうがふつうだし、「柳田さん」の多くも自分は「やなぎだ」だと思っている。

そう、これは客観的な正誤の問題ではなく、各人の信念やアイデンティティに属する問題なのだ。

音声にアイデンティティを求める人は「た」と「だ」のちがいのこだわる。
逆に文字にアイデンティティを求める人は、「国男」じゃなく「國男」だと訂正を求めるかもしれない。

たしかに人の名前はアイデンティティの原点だから、こだわる人が多いのも無理からぬことだ。
さて、あなたはどちらにこだわるだろう?

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コメント

Suimasen.
Itumo sukosi monotarinai kibun de yonde imasu.

Ima, doitu no V on ni tuite no hanasi ga arimasu.

http://8513.teacup.com/edoiki/bbs

Ikaga okangae de syouka?

投稿: Stalker No.1 | 2009年8月23日 (日) 22時56分

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