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2009年6月14日 (日)

素粒子文字と分子文字

今はどうか知らないが、近代の初めごろ西洋には進化思想があった。

生物であれ人間社会であれ、原始的な段階から始って時代とともにより高度な段階に進化していくものだという考え方である。

文字に対してもその進化思想が適用された。

それによれば、文字は原始的な象形文字から始り、しだいに具体的な表象を離れ、やがて音節文字を経て最終的に音素文字に進化した、ということになる。

前回お話ししたように西洋には音声中心主義の考え方が根強いから、この進化観も文字と音声との対応関係に発想の基礎を置いている。

音声に対する分析力が高いほど高度な文字なのである。

この考え方にしたがえば、音声に背を向け象形性と意味性にこだわった漢字は進化の遅れた原始的な文字である。

一方、音声を少数の要素に分析しそれを再構成することで再現できるローマ字は最も進化した高度な文字である。

そして、日本語のかなのような音節文字は進化の中間段階にある。
分析の度合いがまだ不十分なのだ。

音声中心主義からすれば、こんな文字進化の思想が生まれるのも無理はない。

要するに西と東の考え方の違いである。

たとえば「讒言」と「slander」とを並べて見比べてみる。

あらわす意味は大体同じだとしても、この文字表記にたどり着くまでの道程の違いをしみじみ思わずにはいられない。

総合に向かう精神と分析に向かう精神…。

あるいはホロン的思考と要素主義的思考…。

東洋医学と西洋医学の違いみたいなものである。

そういえば、素粒子論も西洋の分析主義から生まれた。

いまローマ字は表音文字あるいは音素文字と呼ばれているけれども、究極の要素という点では「素粒子文字」といってもいい。

素粒子は単独では何もあらわさない。
複数の素粒子が結合して原子になり、さらに原子同士が結合してはじめて物質としての性質が生まれる。

ローマ字も文字単独では何もあらわさない。
文字が集まり綴られることによって、はじめて意味と音声をあらわすことができるのだ。

その点、漢字は単独で意味と音声、つまり語をあらわすことができる。
漢字は表意文字あるいは表語文字と呼ばれているけれども、上のアナロジーに従えば「分子文字」と呼んでいい。

日本語のかなは単独で音をあらわすことはできるけれども、意味をあらわすことはできない。
水分子におけるHやOみたいなものである。
その点では、さしずめ「原子文字」といったところだろうか?

表音文字や表意文字といった誤解を招きやすい表現より、こちらのほうがよほど文字の性質を言い当てているような気がするのだけれど、採用してもらえそうもありませんね。

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