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2009年6月21日 (日)

ピュアな文字

前回は久しぶりに表音文字、表意文字というなつかしいことばが登場した。

そして、表音文字、表意文字という誤解を招きやすい表現に代えて、「素粒子文字」や「分子文字」、そして「原子文字」というのはどうかと提案したのだけれど、もちろんこんな提案が採用されるあてはない。

でも、ついでだからもう少しこの点について考えてみたい。

nやgやhというローマ字は、それ一つづつを取り出してみると、音も意味もあらわさない。
nには、ただ「エヌ」という文字の名前がついているだけである。

それらの文字を集めただしく配列して、はじめてneighbourという語が成立する。
そして、音と意味を獲得する。
といっても、neighbourという文字列とその発音がうまく結び付くかというと微妙である。

だから、ローマ字を表音文字というのは幾重にもまちがいなのだ。
音素文字のほうがまだましだし、素粒子文字というほうがもっといい(と思う)。

その点、「隣」という漢字は、単独で音と意味、つまり語をあらわしている。
だから表意文字にとどまらず表語文字であるし、素粒子との対比でいえば分子文字なのである。

「隣」という文字は複雑な表象だから、小学生はうまく書けない(それとも、小学校には配当されていない?)。
それで、国語の先生は頭を悩ます。

その点、ローマ字は簡単だから幼稚園の子でもすぐおぼえる。
しかし、ローマ字の場合は文字をおぼえただけでは何の役にも立たない。

文字を綴って語に仕立てなければならない。
そして、綴りと発音の間には必ずずれがあるから、子供たちはよくまちがう。
英語圏の国語(?)の先生はそれで頭を悩ます。

neighbourまたはneighborという文字列で発音をあらわそうというのは何か判じものめいている。
本邦において「紫陽花」を「あじさい」と読ませるようなものだ。

その点、日本語のかなは究極の表音文字といっていい。
音だけをあらわし、それ以外のなにものもあらわさない。

日本語のようなモーラ言語にはうってつけだ。
「あ・じ・さ・い」と発音をかなに写せばそのまま語になるのだから。

もっとも、西洋の音声中心主義者なら「ajisai」のほうがさらに分析力が高いと主張するかもしれないが…。

漢字は字形がわからなくては書くことができない。
ローマ字も綴りがわからなければ書くことができない。

その点、かなは50個あまりの簡単な文字をおぼえさえすれば、森羅万象を書きあらわすことができる。

漢字の「隣」が思い出せなければ「となり」と書けばすむ。

英語の場合、neigubourの綴りが思い出せなければ「ねいばあ」と書いて切り抜ける、という奥の手を使うわけにはいかないのだ。

ローマ字はシンプルで分析力抜群だけれど、そう考えればお気の毒でもある。

ついでながら、かなが究極の表音文字ならアラビア数字はさしずめ究極の表意文字だ。
1、2、3、4…はそれぞれの言語圏でまったく異なった発音になるけれども、意味はすべて同じである。
意味だけをあらわし、それ以外のなにものもあらわさない。

文字であれ何であれ、ピュアなものは美しい。

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