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2009年6月 7日 (日)

文字の進化

漢字は言わずと知れた象形文字である。
ローマ字も、もとをただせばエジプト、メソポタミアあたりの象形文字にたどりつく。

どちらも象形文字から出発したのに、その後の進化の方向は正反対だった。

ローマ字は象形文字から出発し、その後徹底して意味をそぎ落とし、デザインを単純化し、数を減らす方向に進化した。
現在、ローマ字は26字(大文字、小文字の別は無視)。

一方、漢字は同じように象形文字から出発しながら、逆にますます意味を詰め込む方向に進化した。
それに伴ってデザインは複雑化し、数も増える一方になった。
今、漢字はいくらあるのか、本当のところは誰にもわからない。それくらい多い。

同じ人間のすることなのに、西と東ではこうまで正反対になるのかと、不思議な感じがする。

「罵詈讒謗」、「魑魅魍魎」、「顰蹙」、「躊躇」、「蠱惑」なんて文字を見ると、漢字の進化の凄みを感じる。

しかし半面、何もそこまでしなくても、という気持ちもある。
第一、書けないし読めないじゃないか!

文字にここまで意味を詰めこむ執念にはパラノイア的なものを感じるのだけれど、何が人々をそこまで駆り立てたのだろうか。

「世界」を理解したい、その理解を目に見える形で表現したい、その表現を新たに創造したい…という人々の欲望が文字に反映されるとこうなるのだろうか?

生物の進化には、袋小路というものがあるのだそうだ。
つまり、その先がない進化のどん詰まりですね。
上のような文字をみると、漢字の進化も行き着くところまで来た、という感じがする。

しかし、ローマ字も別の意味で進化の袋小路に入っているのだ。
IやLやOという文字は、もうこれ以上単純化しようがない。

文字からここまで意味をそぎ落とし、単純化するという情熱には、これまたただならぬものを感じるのだけれど、何が人々をそこまで駆り立てたのだろうか。

「世界」を分析したい、分析した少数の要素で「世界」を再構成したい、それによって「世界」を理解したい…という人々の欲望が文字に反映されるとこうなるのだろうか?

少し前の記事で、西洋では音声中心主義が根強い、というお話をした。

今はどうか知らないが、文字が使われ始めたころ、西洋の人々は音声を分析しそれを可視的に再構成することに文字の存在意義を見出していたのかもしれない。

逆に漢字は音声に背を向け、ひたすら意味を志向しているようなところがある。

漢字であれローマ字であれ、文字の進化には人々の意志と深い欲望がかかわっているのだ。

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コメント

こんにちは。ギャル語(たしかし≒たしかに)とか、ネット語(乙≒おつかれさま)などが注目され、最近は、時代とともに日本語は不思議に、加速度的に進化しているように感じるのですが、10年後、日本語はどのように進化していくのでしょうか?? 現代は日本語が乱れやすい時代なのか、若者のクリエイティブが刺激される時代なのかヽ(´▽`)/  

投稿: 踊り子 | 2009年7月 8日 (水) 18時17分

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