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2009年5月24日 (日)

漢字と日本語表記(その5)

大陸と海を隔てて不即不離…。

その絶妙な距離が、漢字から離れた韓国・朝鮮やベトナムと漢字を温存した日本との分かれ道になった。

というのが、前回お話しした私の思いつきだった。

中国大陸とつかず離れず、というその物理的な距離は、そのまま漢字とわたしたちとの心理的な距離感にもなった。

ずっと以前、日本語話者と漢字とはアンビバレントな関係にあるというお話をした。

頼りたいけれど離れたい。
離れたいけれど頼りたい。

そんな感じですね。

もちろん世の中には漢字原理主義者もいるし、漢字廃止論者もいる。
でも、今ではどちらも少数だ。

私も含めて大多数の日本語話者は、漢字に対する微妙というか絶妙というか、そんな距離感を持ち続けている。

そして、漢字に対するそんな間合いは、ある種の精神的な「ゆとり」を生む。
漢字と「たわむれる」ことを可能にする。

わたしたちはお寿司を食べながら、湯呑に書かれた「鰆」や「鰍」の当てっこをして楽しむ。
本屋さんに行けば、漢字パズルやクロスワードの本が山のようにある。
例の漢検も、上のレベルは実用とは縁のないクイズみたいなものだ。

もちろんこうした「おあそび」が可能になったのは、日本語における漢字が本家よりもはるかに面妖な存在になったからである。

中国や台湾には漢検なんてないんじゃないですか?

いずれにせよ、中国と陸続きの韓国・朝鮮やベトナムの人々は漢字をおもちゃにしてたわむれる心の「ゆとり」は持つことができなかった。

間に「海」というワンクッションがないものだから、よかれあしかれ中国文明の影響をダイレクトに受けざるを得ない。

漢字はただでさえインパクトの強烈な文字である。
かれらが感じていた漢字の「重圧」というものは、わたしたちには想像もつかないものだったにちがいない。

「たわむれ」や「おあそび」が入り込む余地などないのである。

漢字を廃するということは、それまで漢字の上に築いてきた文化や伝統との断絶を意味する。
しかし、漢字の「重圧」、漢字のくびきから脱するためには、そんな大きな代償を払ってでも漢字と別れを告げるほかなかった。

島国のわたしたちが体験したことのない「文字のきびしさ」がそこにはあった。

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