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2009年4月13日 (月)

漢字とローマ字

西欧諸語は「声」が優位に立つ言語である。
これに対して、日本語は「文字」が優位に立つ言語である。

だから、日本語の世界では弁論や雄弁が発達しないのだ。

前回は何の根拠もなくこんな単純な結論を導いてしまった。

たしかに単純きわまる対比だけれど、まんざら的外れではないかもしれない。

西欧諸語の世界では古くから話しことば中心主義の観念が根強い。

言語の本質は音声にあり、書きことばは話しことばにつき従うしもべにすぎない、という考え方ですね。

ルソーは「言語は話されるために作られている」と言っている。
名前は忘れたけれど言語学のえらい先生だって「文字言語に存在理由があるとすれば、それはことばを再現することにすぎない」と断じている。そして、「文字言語はことばを見る目を覆う」と苦々しく吐き捨てる。

一方、日本語の世界では伝統的に文字を尊重する傾向が強かった。

というよりも、ことばに関して文字と声を対比する、という発想そのものがあまりなかった。
ましてや、声を文字の上に置くという考え方はまるでなかった。

どうしてこのような違いが生まれたのだろう?

私はそれぞれが用いている文字の違いに起因しているのではないか、と考えている。

漢字とローマ字の視覚的効果の違いである。

漢字は見るからに威厳があって、頼りになりそうだ。
それに比べると、ローマ字は何となくおもちゃっぽい感じがしませんか。

そういえば子どもの頃、AやBの形をしたビスケットを食べたことを思い出す。
漢字では子どものおやつにはなるまい。

たとえば、「厳粛」という漢語を目の当たりにすると居ずまいを正さずにはいられない。
文字に対して自然に尊敬と信頼の念がわいてくる。

私は英語人じゃないからわからないけれど、「solemn」というローマ字の文字列に対して同じような感情が生まれるとは思われない。

ローマ字は表音文字と呼ばれている(私はこの表現は正しくないと思っている)。
つまり、その文字列は音声化されることではじめて機能する文字なのだ。

一方、漢字は表意文字と呼ばれている(私はこの表現も正しくないと思っている)。
つまり、音声とは独立して機能する文字なのだ。

ローマ字が「声」からひとり立ちできない文字であるとすれば、漢字は「声」から自立した文字ということになる。

西欧諸語で音声中心主義が生まれ、漢字圏で文字偏重主義が生まれたのも無理はない。

いうまでもなく漢字は象形文字である。
ローマ字だって、大本をたどれば象形文字に行き着く。

しかし、ローマ字はその後徹底して意味を排除する方向に進化した。
逆に、漢字は意味を詰め込む方向に進化した。

漢字とローマ字は、生まれは一緒なのに正反対の方向に向かったのだ。
人の世はつくづく面白いですね。

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