« 文字とバラエティ番組 | トップページ | はかなさの魔力 »

2009年3月 1日 (日)

「声」のはかなさ

「声」だけでは頼りない、インパクトが足りない…。

前回はそんな民放バラエティ番組のディレクターのつぶやきに耳を傾けた。

かれらはそう思えばこそ、文字の助けを借りてこれでもかといわんばかりの迫力ある画面づくりをする。

そこに、文字誕生以来じわじわと、そして印刷革命以来爆発的に拡がった視覚優位の文化をしみじみと感じる。

まことに百聞は一見にしかず。
そして日本語の特異な表記システムが視覚の愉しみを一層効果的にする。

前回記事の最後では、でも「声」って本当にそんなに頼りないものだろうか、という反問を遠慮がちに差し出してみた。

なんだかんだといっても、「声」は人類の言語史の99%を支配してきたのだ。
文字というぺえぺえの新参者に、そんなにあっけなく主役の座を明け渡していいものだろうか?

しかし、夜7時、8時台のバラエティ番組を見るにつけ、やはり文字のインパクトには勝てないな、と納得してしまう自分がいる。

そう、わたしたちにとって「声」は頼りない存在だ。
消える瞬間にだけ存在することを許されるはかない現象だ。

その証拠に、ほんの1分前あなたが発した「声」でさえ、私はもう正確に再現することができない。

話しことばは発せられると同時にどこかに消えてしまう。
そして、同じことばは二度とこの地上にあらわれることがない。

でも、そのことばは聞き手の心の中に刻まれる…。

本当にそうだろうか?
それは、話しことばのはかなさに対するわたしたちの愛惜の思い、せめてもの願望の表現だ。

話しことばが発せられたあと、聞き手の中にとどまるのはかげろうのようなその残像にすぎない。

不確かで、頼りなく、はかないことに変わりはない。
文字と対比することで、このことが否応なくあらわになる。

「声」にとって、民放のバラエティ番組はとても残酷な実験室なのだ。

|

« 文字とバラエティ番組 | トップページ | はかなさの魔力 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107182/44211974

この記事へのトラックバック一覧です: 「声」のはかなさ:

« 文字とバラエティ番組 | トップページ | はかなさの魔力 »