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2009年2月22日 (日)

文字とバラエティ番組

テレビがわたしたちに送ってくるコンテンツは、映像と音声で成り立っている。

もちろんその映像の中には文字も含まれている。
しかしテレビの主役はあくまでも動画であって、文字という静止画像は脇役、あるいは補助的存在にすぎない。

というのがこれまでの常識だったと思うのだけれど、最近ちょっと様子が変わってきたような気がしませんか?

テレビの画面下に登場人物の発話が文字で表示されるようになったのはいつごろからだろう?
十年ほど前まではまだそれほど目立たなかったような気がする。

あれは何のためにあるのですか?

すべての音声に対して文字表示がされるわけではないので、耳の不自由な人に対する配慮、というためだけではないと思う。

特に民放のバラエティ番組はすごい。

はでな色遣いのでか文字が感嘆符やオノマトペとともに画面下で躍動している。
時には画面上部の小窓のタレントさんのほうが影が薄いくらいだ。

音声だけでは頼りない。
インパクトが足りない…。

番組製作者はきっとそう考えているのだ。

民放はセンセーショナルに番組を作らなければならないという宿命を負っているから、画面づくりはどんどん過激なほうに向かっていく。

そこで文字という強力な助っ人を登場させることを思いついた。
なんだかんだと言っても、文字はわたしたちにとって有無を言わせぬ迫力がある。

さらに幸か不幸か、ここで日本語の特異な文字表記が生きてくる。
ただでさえ漢字はインパクトが強烈だ。
その上にひらがな、カタカナ、ローマ字が加わる。

こうした多彩で個性的な文字たちが画面上を縦横無尽に躍動するのだから、「声」の頼りなさを補ってあまりある。
視聴者に対する視覚的な訴求効果は絶大だ。
英語圏のようにローマ字だけではおもしろくも何ともない。

他の言語圏のテレビでも、日本の民放バラエティ番組と同じような手法を使っているのだろうか?

たしかにCNNやアルジャジーラでも、画面下を文字が流れている。
しかし、あれは文字放送というべきもので画面に映っている内容とは関係がない。

民放バラエティ番組における文字の躍動は日本語表記の特徴と結びついた特異な現象と思えるのだがどうなんだろう?

テレビの中の「ことば」。

文字に主役を食われそうになって「声」がお気の毒である。
しかしそもそも「声」って本当にそんなに頼りないものなのだろうか?

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