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2009年2月 8日 (日)

コピー進化論・個人編

小学生だったころ、冬休みが近づくと図工の時間に版画で年賀状を作らされた。
木版やゴム版で作った。

彫刻刀で干支の動物を彫り、「あけましておめでとう」なんて文字を彫る。
そして出来上がった原版を家に持って帰って、はがきに刷るのである。

思えばこれが私にとって人生最初のコピー行為だったかもしれない。

いまの子供たちは小学生のころからパソコンを使うから、パソコン上で人生最初のコピー体験をするのだろう。

中学や高校では、謄写版がまだ大活躍していた。
ガリ版とも言っていましたね。
なつかしいなあ。

鉄筆で原紙をがりがり切って版下を作る。
そしてこれを謄写版にセッティングして、インクをたっぷりつけたローラーで一枚ずつ刷っていくのである。
手や袖口を汚さずに刷り終えるのは至難のわざだった。

印刷用紙もいまのまぶしいほど白いコピー用紙じゃない。
茶褐色を帯びたわら半紙だった。
よく見ると、本当にわらが混じっていることもあった。

学校を出て最初の職場でのコピー方式は湿式コピーだった。
青焼きとも言っていた。
若い人はもう知らないだろうけれど…。

まず半透明の原紙に鉛筆やボールペンで原稿を書く。
そして、その下に感光紙を重ねて薬剤の中をくぐらせる。

腕組みして待つことしばし、やがて装置の向こう側から悠然とコピーが姿を現すのである。
思えばのどかな、牧歌的なオフィス風景だった。

数年してゼロックスのコピー機が導入された。
しかし、しばらくは機械のキーを総務課が厳重に管理していたものだ。

さらに経過すること数年、いよいよ職場にパソコン(NEC9801だったかな?)が登場することになる。

そして、その後の展開はみなさんご存じのとおり。

小学校での木版の年賀状作りは江戸時代のコピー方式と大差がない。
オフィスでも私よりひと世代上では、湿式コピーさえなかった。
黒い腕カバーをつけた事務員さんが、カーボン紙を敷いて書類を複写していたものだ。

それが、個人レベルでも一世代のうちにここまで進化した。
あの湿式コピー機も短い寿命を終え、いまはどこかのオフィス博物館でやすらいでいる。

ほんの30年前には、いまわたしたちがふつうに使っている文書作成、文書複製の技術はだれにも予想できなかった。

技術はつねにわたしたちの想像をはるかに超えるテンポで進化するものだ。
なかんづく、情報処理技術の進化はその度合いが著しい。

それはわたしたちの言語活動に少なからぬ影響を及ぼしているけれども、急激な進化の渦中にあるわたしたちにはそのことが見えない。

そしてうんと後になってから、その変化が劇的だったことにようやく気づくのだ。

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