「どうぞ」と「どうか」
前回も書いた通り、日本語入門クラスの自己紹介表現は、
「初めまして。(わたしは)マイク・ミラーです。アメリカから来ました。どうぞよろしく」
が定番である。どの教科書もこうなっている。もちろん、これで何もおかしくない。
ただ、「どうぞよろしく」のほかに「どうかよろしく」という言い方もある。
これはselhaさんのブログ「外国語上達法」(日本語教師にとっては大変参考になるサイトです。右の欄にリンクがあります)へのコメントでも書いたことだが、実はある時こんなことがあった。
ある学習者とスピーチ原稿(私が下書きを書いたもの)の検討をしていた時のこと。
「本日は○○についてお話をさせていただきます。どうかよろしくお願いいたします」のところで、
「どうかよろしく、ではなく、どうぞよろしく、ではありませんか? 私はそう習いましたが」と質問を受けた。私はこの部分はまったくノーマークだったので、一瞬、虚を衝かれたものの、
「単なるあいさつの場合は、どうぞ、でいいと思います。ただ、何か特別なお願いがあるときは、どうか、のほうをよく使います。この場合は、聴衆に対して私の話を聞いてほしい、というお願いの気持ちを強くあらわしたいので、どうか、のほうがいいと思います」
と説明して、その場を切り抜けた。
外国人に日本語を教えていると、母語話者なら見過ごしてしまう現象にあらためて気づかされることが多い。上の例もそのひとつである。
原稿を書く段階で、状況にあわせて私は無意識のうちに「どうぞ」ではなく「どうか」を選択したのだが、定番表現で学習した生徒さんには、それが奇異に感じられ、ひっかかった、ということなのだ。
では、ほんとうのところ、「どうぞ」と「どうか」は、どうちがうのか?
少し用例で検討してみよう。
「どうぞ」は、「どうぞよろしく」というあいさつ言葉のほかにも、
例1 「ここ、空いていますか?」-「ええ、どうぞ」(許可・許容)
例2 「紅茶をどうぞ」(勧誘)
など、使用範囲が広い。
これに対して、「どうか」は、
例3(老いた母親が息子に)「どうか危ないまねはよしておくれ」
例4(神社でお賽銭をあげながら)「どうか志望校に合格しますように」
など、お願いの場合に限られるようだ。それも強いお願い、場合によっては懇願、哀願のニュアンスさえ帯びる。
そして、ここが大事なことだが、話し手と聞き手の関係に注目すれば、「どうぞ」は話し手のほうが同等ないし上位(例1、2参照)、「どうか」は話し手のほうが下位(例3、4参照)に位置するイメージがある。
一般の日常会話では「どうぞよろしく」一本槍でもさしつかえないが、ビジネス日本語の場合はこれを活用したい。
「どうか」は自分を下において相手を相対的に持ち上げる作用があるため、聞き手にいい印象を与える。
したがって、「この人は今後大事なビジネスパートナーになりそうだ」と感じたら、「今後とも」というようなフレーズを前につけて、「どうかよろしくお願いいたします」とするほうがいい。
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コメント
王さま
コメントありがとうございました。
記事にも書きましたように、「どうぞ」は話し手が聞き手と同等または上位に位置する場合に使用可能です。反対に、「どうか」は話し手が聞き手と同等または下位に位置する場合に使用可能です。
下に「よろしく」がくるあいさつ言葉は、両者の使用可能範囲がオーバーラップしている部分に位置していると思います。
したがって、「よろしく」の前にはどちらが来てもおかしくありません。
ただし、相手を相対的に持ち上げることで、その人と良好な関係を構築・維持したいという思いがあるときは「どうか」のほうが効果的ですね。
ですから、私は年賀状でも相手がふつうの友だちの場合は「どうぞよろしく」ですませますが、相手が大切な取引先の場合には「どうかよろしく」と書いています。
投稿: しおかぜ | 2010年4月14日 (水) 13時06分
立教大学で中国語を教えるものです。
初めて日本語で挨拶する時、どの教材も「初めましてどうぞ宜しくお願いします」と書いてあります。
立教の教材の中の「请多多关照」という挨拶があり、この訳は「どうぞ宜しく」と「どうかよろしく」二つの意見があります。私は日本人ではないので強く言えませんが、私は家内に謝る時に「どうかよろしく」と言いますが、また、年賀状に必ず良いほど「本年もどうぞ宜しくお願いします」と言うでしょう。
いかがでしょうか?
投稿: 王佩民 | 2010年4月12日 (月) 10時40分
涼さま
ずいぶん以前の記事にコメント、TBをつけていただきありがとうございました。
この例のように、場面に応じたことばの使い分けがほとんど無意識のうちに行われるところに、ことばが発せられるメカニズムの不思議さを感じます。
投稿: しおかぜ | 2006年3月19日 (日) 15時08分
涼と申します。
すみません、コメントをしたと思っていたのですが、反映されていませんでした。
「どうか」と「どうぞ」で検索して辿り着きました。
メールやコメントで書かれている「どうぞよろしく」に違和感があったので、納得できました。
トラックバックさせていただきました。
投稿: 涼 | 2006年3月17日 (金) 00時41分
ヒロシさま
コメントありがとうございました。
標準は「どうぞよろしく」でいいとしても、一口メモ風に「どうかよろしく」にもふれる教科書(中級くらいで)があってもいいんじゃないか、と思います。
表現の幅も広がりますしね。
投稿: しおかぜ | 2005年9月 6日 (火) 10時34分
面白いですねぇ。たしかに、どうかのほうがへりくだり感がありますね。もともと「どうぞよろしく」ってとっても教科書的であまり好きじゃありませんでした。初対面で会ったら「よろしく」か「よろしくお願いします」と言ってほしいと個人的には思います。でも、外国人の人が「どうぞよろしく」と言うと、「あ、教科書にはそう書いてあるしね」と思って自分も関わっている「罪」(おおげさ?)について考えさせられます。
投稿: ヒロシ | 2005年9月 5日 (月) 11時19分