2025年7月20日 (日)

口語と文語

柳田国男の文体はくねくねしていてあまり好きじゃない。
しかし、「遠野物語」の序文はいい。
繰り返し読んだ。

笛の調子高く歌は低くして側にあれども聞きがたし。日は傾きて風吹き酔いて人呼ぶ者の声も淋しく女は笑い子は走れどもなお旅愁をいかんともする能はざりき…、

こんな名文が続く。
私がこの序文に惹かれたのは、これが文語で書かれているからだと思う。

「遠野物語」が発表されたのは明治43年だが、この頃は日本語の書きことばの変革期に当たっていた。
すなわち口語が台頭してきたのだ。

夏目漱石は、柳田国男より8歳年上だが、小説はすべて口語で書いている。
「遠野物語」の2年前に書かれた「三四郎」も口語である。

つまり柳田国男はこの頃、口語でも文語でもどちらでも書けた。
事実「遠野物語」の前年に発表された「後狩詞記」の序文は口語で書かれている。

柳田国男は口語と文語を意識的に使い分けていた。
そして「遠野物語」には文語のほうが効果的と判断したのだと思う。

いま日本語の世界は口語に覆いつくされている。
私ももう文語は書けない。
その意味では柳田国男の時代のほうが、表現の選択肢が広かったのかも知れない。

ただ、短歌や俳句のような短詩系文学の世界では今も文語的表現が残っている。
たぶん文語のほうが調子を取りやすいからだと思う。
五七五のような定型詩には文語のほうがよくフィットする。

柳田国男も詩歌から出発したから、そのことはよくわかっていたのだろう。
だから「遠野物語」を文語で書いたのだ。

以上は書きことばでの文語と口語の比較である。
しかし、話しことばでは口語は大昔からあった。
公文書の漢文とかかわりなく、人々は口語でコミュニケーションをとっていた。

口語は時代の変化に応じてころころ変わる。
でもスタイルそのものはそんなに変わらない。
私達現代人でも江戸時代の人と十分意思疎通できる。

したがって口語と文語の比較は、書きことばにおいて重要な意味を持つのだ。

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2025年7月13日 (日)

青と緑(その6)

今から7~8年前、このブログで色の名前にこだわったことがあった。
色の名前は実際の色彩を指示するだけでなく、いろいろ象徴的な使われ方をする。
なぜそうなのかを知りたかったのである。

発端は青と緑の対比である。
なぜ交通信号の「進め」は緑色なのに「青信号」というの?という疑問がきっかけだった。

この疑問はわりとポピュラーなものらしく、いろいろな説が出ている。
それぞれの説は8年前の「青と緑」で紹介しているので、ここでは繰り返さない。

ところで最近「「なんで人は青を作ったの?」という子供向けの本が出た(谷口陽子他 新泉社)。
まだ読んでいないが、読むつもりでいる。

この本のキャッチコピーには「自然界には青が少ないのに、どうして人は青に惹かれるのだろう?」とあった。
たしかに自然界には青はほとんどない。

空は青い(青く見える)。
それを映して海も青い。
だがそれだけだ。

陸上の植物の葉っぱはみな緑である。
花々も赤や黄色や白である。
青い花は人工的に作り出すしかない。

人が青に惹かれるのは、その希少性、そして精神性に魅了されるからだろう。
これは8年前にもお話ししたことだ。

ところで「いろ」の象徴的な使われ方の一つとして、セクシュアルな物事を指し示す場合がある。
たとえば「いろっぽい」とか「いろごのみ」とか。
今はあまり使われないが、私の若いころにはブルーフィルムやピンク映画なんてのもあった。

英語の「color」にはそんな意味はなさそうだから、日本語の「いろ」に特有の現象かもしれない。
ほかの言語ではどうだろう?

なぜ「いろ」は多義的な意味を持つようになったのだろう?
それは色彩がいろいろ連想を刺激するからではないか?

緑は自然や環境や安全。
緑の党、緑のおばさんなんて言う。

交通業界では安全第一だから特に緑が好まれる。
グリーン車とかみどりの窓口なんて言う。

青は若い、そしてその裏返しとして未熟のシンボル。
青年や青春、青二才なんて言う。

青は精神性を帯びているから、文学ではよく使われる。
「青い山脈」とか「蒼い時」とか「蒼き狼」とか。

もちろん赤も黄色も白も黒も連想を刺激する働きがある。

これらの基本色に比べて茶色や黄緑などの混色系は、純度が低い分連想を喚起する力が弱い。
だからあまり象徴的な使われ方をしないのだろう。

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2025年7月 6日 (日)

「かみ」とことば(その3)

日本は宗教的に寛容というかいい加減である。
ファッションみたいなものである。

お葬式は坊さんにお経をあげてもらわないと格好がつかない。
そのくせ結婚式は神式で挙げる人が圧倒的に多い。
キリスト教徒もいるし、ごく少数だけれどもイスラム教徒もいる。

神戸にはイスラムのモスクもある。
無料開放しているので、中を見学させてもらったことがある。

神戸にはシナゴーグもある。
日本人にはユダヤ教徒はいないと思うが、神戸在住の外国人の中にはいるのだろう。

さて私はなに教徒なんだろう?
考えたこともない。

家には仏壇があるし、お寺の檀家にもなっているので統計的には仏教徒に分類されているのかも知れない。
でも鳥居をくぐれば、参拝もするしお賽銭も入れる。

ふだんは宗教のことなど考えないし、戒律があるかどうかも知らない。
では無神論者か?

本当の無神論者なら神の不在を証明しなくてはならないし、だいいちお寺にも神社にもいかないだろう。
そういう意味では無神論者とも言い切れない。

うーむ困った。
でもそういう日本人が多数派のような気がする。

ところでイスラム教はむかし日本では回教と呼ばれてきた。
なぜそう呼ばれてきたのだろう?

ここからはwikiipediaの受け売りになるけれども、回教ということばは日本だけでなく中国や韓国など広く漢字文化圏で使われていたらしい。
回回教がちじまって回教になったらしい。

回回というのは、中国西部、今でいう新彊ウィグル自治区に住んでいた人々を指す。
その人々が信仰していた宗教だから回回教というらしい。

回教、いやイスラム教の聖典はいうまでもなくコーランである。
コーランはアッラーが預言者ムハンマドに伝えたことばを文字化したものである。

そういえばほかの宗教でも「かみ」はみずからは書かない。
仏教では膨大なお経があるが、お釈迦さま自身は何も書き残さなかった。

いや、お釈迦さまは「かみ」ではなく人間かもしれない。
でも釈迦如来とも言う。

この釈迦の立ち位置はイエスとちょっと似ている。
イエスも神であり人間なのだ。
このあたり、少しわかりにくいが三位一体説ではそうなるらしい。

それはさておき、空海によれば仏教の最高神は大日如来である。
もちろん大日如来は書かない。
大日如来のことばは法身説法という。
法身説法は宇宙に遍在しているらしい。

ユダヤ教でもキリスト教でもメシアが預言者たちに語った教えを人間たちが書いてまとめたのだ。
それが旧約聖書であり新約聖書である。

そうした聖典を聖職者たちが朗読して人々に伝える。
神の教えは文字ではなく声によって、伝えられるのだ。

さて、AIはある分野ではすでに人間を超えている。
今後さらにAIが進歩していけば、新しい「かみ」になるのだろうか?

私はそうはならないと思う。
なぜならAIには声がないからだ。

もちろん声を合成することはできる。
でもそれは「AIの声」」ではなく「AI が合成した声」にすぎない。
AIがいくら進歩しても人の心を揺るがす声は出せないと思う。

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2025年6月30日 (月)

「かみ」とことば(その2)

前回はキリスト教の「神」と日本の「かみ」を対比させた。
でもそこに登場する「かみ」は神道の神さまたちだ。

日本では仏教も盛んである。
でもl仏さまは神さまとは言わない。

宗教の至高の存在を「神さま」と呼ぶのなら、仏さまも神さまである。
でもそうは言わない。
昔から「神仏」と言って、神さまは神道のもの、仏さまは仏教のものと相場が決まっている。

世界中どこでも異文化が遭遇した時に起こる反応はおおむね3種類である。
置換、折衷、共存のいずれかである。

置換の例をあげると、ヨーロッパでキリスト教がそれまでの土着宗教と完全に置き換わったことがあげられる。

折衷とはAの文化とBの文化が融合して、AでもBでもないCの文化になることである。
言語の世界でこの例を探るとピジョンやクレオールがあげられるだろう。

共存とは、文字通りAもBもその姿を保ったまま共存することである。
そして日本ではこのパターンが多い。

だいたい仏教が伝来しても、それまでの神道はちゃんと残った。
今でも神道と仏教は共存している。

明治以前の神仏習合は折衷ではないのかという人がいるかもしれないけれど、あれも共存のひとつの形なのだ。
お寺の中に神社があったりしたけれども、お寺やお社の形は変わっていない。

洋間、日本間、洋服、和服、洋菓子、和菓子など衣食住にも共存は広がっている。
日本文化は外来の要素を積極的に受け入れるけれども、在来の要素も決して捨てないのだ。

さて、前回は「かみ」の中から「紙」を除外した。
やはりほかの「かみ」とは異質なのだろうか?

でも言語にとっては「紙」はなくてはならない。
とりわけ書きことばにとっては、古代から重要な役割を果たしてきた。

紙が発明されてから2千年以上が経つ。
その歴史の中で紙は文化の媒体としてだけではなく、人々の意識変化にまでかかわってきた。

とりわけグーテンベルクの印刷技術の発明が人々の意識変化を促した。
「幻想の共同体」によれば、国民国家の成立にも紙と印刷が深くかかわった。

さて今、デジタル社会の到来によって、ペーパーレス化が叫ばれている。
紙の使用は地球環境にもよくないらしい。

でも紙の消費量は減っていない。
歴史の中で育まれた人々の紙への執着は強い。
本当にペパーレス化が実現するのだろうか?
あなたはどう思いますか?

言語学的には神と紙は別系統かもしれないが、執着という点ではどこかつながっているような気がする。
日本語で神と紙が同じ音だということは象徴的である。

さて日本には和紙がある。
日常的には洋紙が圧倒的だけれども、和紙も作られ続けている。
これも共存の一例だろう。

和紙は耐久性に優れている。
今も紙幣や古文書の修復に使われている。
福井県の和紙の産地では「神と紙のまつり」が行われているそうだ。

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2025年6月22日 (日)

「かみ」とことば

英和辞典で「god」を引くと「かみ」と出ている。
なるほど「god」は日本語では「かみ」なのか。

でも英語のgodと日本語の「かみ」はずいぶん違う。
だから日本人はgodを理解しにくい。

先ほどの英和辞典では「特にキリスト教の」という注釈がついている。
つまりキリスト教の「かみ」は日本人のイメージする「かみ」とは違うのだ。

日本語の「かみ」は多義的な語である。
広辞苑を引くと、随分多くの「かみ」が出ている。

いまその意味を漢字で示すと、「紙」、「髪」、「神」、「上」、「守」などである。
まだほかにもある。

このうち「紙」は別として、他は原義を同じくしていると思う。
要するに上のほうである。

この場合の「うえ」は空間的な「うえ」」でもあるし、社会的な「うえ」でもある。
川上などは空間的な「うえ」を意味するし上座は社会的に「うえ」の人が座る場所になっている。

このほか時間的な意味でも使われる。
たとえば、上旬などは時間的な順序の始めのほうを意味する。

「髪」は人体の一番「うえ」にあるものだし、「守」は「うえ」のほうのお役人を意味する。
そもそも「神」は空間的にも社会的にも人間より「うえ」のほうに存在すると信じられてきた。
生命の源泉である太陽が人間の「うえ」にあることが影響しているのだと思う。

ここからは「神」に焦点を当てたいと思う。
とにもかくにも「かみ」は上のほうにあり物事の始原と言える存在なのだ

日本の「神」は「god」とは違う。
「god」は人間の理解も共感も及ばない隔絶した存在だけれど、日本の「神」は人間とひとつながりであるように思う。

特に各地の風土記に登場する神たちは人間臭い。
あわてん坊の神あり、おこりん坊の神ありである。
そもそも菅原道真や徳川家康のように死んだら神さまになる人もいる。

友達づきiあいしてもいい、そんな感じである。
だから「すみよっさん、えべっさん」なんて愛称がある。
「god」をさん付けで呼ぶことなどありえないことだろう。
「god」は親近感など受け付けない存在なのだ。

むかし日本が農業社会だったころ、川上の奥の山には神さまがいて春になると田んぼに降りてくると信じられていた。
山の神はやさしいから、稲作を守るのだ。

山の神は女神と信じられていたので、いつの頃からか自分の妻を親近感を込めて「かみさん」というようになった。
刑事コロンボがよく口にしていたのをおぼえている。

「かみさん」が口うるさいと亭主は閉口して「山の神」と呼ぶこともあった。
どうしてそう呼ぶようになったか?

ずいぶん昔、季刊人類学に「わが妻を山の神と呼ぶ由来」という論文が載っていた。
それが今どこにあるのかわからない。

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2025年6月15日 (日)

宗教と言語

「God」とは何だろう?
英英辞典によれば「キリスト教、ユダヤ教そしてイスラム教で宇宙の創造主と信じられている存在」とある。

つまり至高の存在であるから、「God」のGは大文字で書く。
そして「the」はつけない。

ならばギリシャ・ローマの多神教時代の神々は何というのだろう?
辞書には何の説明もない。
やはり「God」というのだろうか?

ともあれ「God」は仏教や神道のように多神教ではないので唯一の存在だ。
私たちのように多神教になじんだ人間にはここがわかりにくい。

そしてキリスト教、ユダヤ教。イスラム教には唯一の聖典がある。
つまりキリスト教の場合は旧約、新約聖書がこれにあたる。
ユダヤ教の場合は旧約聖書、そしてイスラム教はコーランである。

もちろん仏教にもお経という教典はあるが、これは唯一ではない。
たくさんありすぎてわれわれはよく理解していない。

そして神道にはそもそも聖典などない。
したがってはっきりした戒律もない。
せいぜい身の回りを清潔にしましょう、という生活ルールみたいなものだけだ。

このように、三大一神教と仏教、神道は大いに違っているけれども、共通している点が一つある。
それは声を大事にするということだ。
もちろん聖典は文字で書かれているけれども、それを黙読するだけでは宗教にならない。

キリスト教の教会では、神父や牧師が聖書を手許において会衆に説教する。
ユダヤ教には神父や牧師にあたる聖職者がいないので説教というのはないけれども、シナゴーグではラビがモーゼの十戒などを解説しているのだろう。
モスクではムスリムたちが、定期的にコーランを朗唱している。

仏教でも坊さんが仏壇に向かってお経を読み上げ、わたしたちはそれを神妙に聞いている。
意味はよく分からないけれども。
神道でも神主が神棚に向かって、祝詞を読み上げる。  

つまり人間が神的存在と交流するには、文字ではだめなのだ。
神は人間の声を聞き取る。
そして預言者に語りかける。
なぜなら声はいのちの一部だから。

神はどんな声で人に語りかけるのだろう?
ちょっと興味があるが、私は預言者ではないのでそれがわからない。

神は書かない。
そしてアブラハムもイエスもマホメットも釈迦も書かなかった。
今ある文字化された聖典は、弟子や後継者たちがまとめたものだ。

そういえば幕末明治期の日本の新興宗教の教祖たちもまとまったものは書かなかった。
今ある教典はたいてい弟子たちや教団事務局が教祖の言行録としてまとめたものだ。

神との交信は声でするけれども、その尊い教えを後世に継承するためにはやはり文字が必要だった。
言語にとって、声と文字は両輪なのだ。

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2025年6月 8日 (日)

ボルヘスとエリアーデ

少し前、日本文学は面白いと言った。
それならば外国文学にも目を向けなくては不公平だ。

私はあまり外国文学を読まない。
その少ない読書の中で、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」は面白かった。

この作品については、このブログでも連載で紹介したので覚えておられる方もいらしゃっると思う。
この作品は文体はハチャメチャだが、主人公ホールデンの心の動きを描いているので抒情詩系に分類できるだろう。

このほかに心に残る作家が二人いる。
それだボルヘスとエリアーデである。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス。
アルゼンチン生まれの幻想小説家。
一時期ブエノスアイレスの国立図書館長をしていたこともある。

私の本棚には「続審問」という文庫本がある。
これは小説ではなく、短いエッセイのアンソロジーである。

なかでも面白かったのが「ジョン・ウィルキンスの分析言語」という1篇である。
内容は長くなるのでここでは紹介しない。
関心のある方はこの本を読んでいただきたい。

要するにシステム的な国際共通語の提案である。
世界にある諸物を言語によってシステム的に分類して理解しようというのである。

これに付随していろいろな分類法が紹介されるが、中には奇想天外な分類法がある。
こんな分類法を考えた人がいるんだなあと教えられる。
こんなことを教えてくれた本はほかに読んだことがない。

ミルチャ・エリアーデ。
ルーマニア生まれの作家。
というより言語学者としてのほうが名高い。

私の本棚にはエリアーデの本がない。
わざわざ買った記憶もないので、図書館で借りたのだろう。
ずいぶん前のことなので、借りた本の題名も覚えていない。

でも内容は印象に残っている。
たしか戦いのシーンだったと思う。
戦士たちの戦いの雄たけびが耳に残っている。

サリンジャーが抒情詩系だとすればこの二人は叙事詩系だろう。
事実や出来事の描写が中心になっているから。

いま日本では外国文学の影響力が以前より小さくなっている気がする。
私が若いころはシモーヌ・ボーボワールやフランソワーズ・サガンが魅力的だった。

今やフランス文学やフランス哲学(サルトルのような)は見る影もない。
これらの人々はとりわけ若い人たちに人気があった。

いまその人気が凋落しているというのは、日本社会が老齢化したあかしだろうか?

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2025年6月 1日 (日)

抒情詩と叙事詩

まだ文字がなかった時代、文字ができてもまだ社会に浸透しなかった時代、共同体は英雄の事績を語り継ぐために叙事詩を作った。
こうして「オデッセイ」をはじめとする西洋の多くの叙事詩が出来上がった。

その点、日本人は何故か英雄をあまり必要としなかった。
そのかわり「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声」に心を惹かれた。
だから抒情詩が花開いた。

今のように情報が氾濫していない時代だったから自然の風物に対する感度ははるかに高かったと思う。
むかしの人は「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声」にしみじみ感興をそそられた。
ひるがえってスマホに依存する現代人は自然に対していちじるしく感度が鈍っているのではないか?

それはそれとして、もちろん日本にも叙事詩的な作品はあった。
平家の興亡を描いた平家物語などは叙事詩系だろう。
もっと昔なら神々の活躍や天皇制草創期を書き留めた記紀や風土記もそうだろう。

その点、源氏物語は抒情詩系である。
事実、作品の中に多くの和歌が取り入れられている。
そして今でも源氏物語のほうが圧倒的に人気は高い。

もちろん西洋にも抒情詩系の作品はある。
ソネットなどはそうだろう。

そして、今は世界的に見ても叙事詩の旗色は悪い。
なぜか?

それは人々の識字率が上がり無文字社会がなくなっただけでなく、さまざまな言語の外部記憶装置が発達したからだろう。
人々は叙事詩に頼らなくてもいいようになったのだ。

ではこの先、叙事詩は消滅してしまうのだろうか?
詩そのものはなくなっても叙事詩的な伝統は残ると思う。
小説や評論のかたちで。

叙事詩にせよ抒情詩にせよ「うた」は人類の言語生活と深くかかわっている。
「うた」の地下水脈はこの先も枯れることはないだろう。

ところで、AIは「うた」とかかわりを持っているだろうか?

たしかにAIはそれなりの短歌や俳句、それから詩を作ることはできよう。
しかしそれは圧倒的な効率による学習の結果なのだと思う。

だから何となくつくりものっぽい。
「うた」のこころの自然な発露とは言えない気がする。

これは保守的で頑迷な考えだろうか?
あなたはどう思いますか?

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2025年5月25日 (日)

和歌とことば

日本語の歴史をさかのぼってみると、「オデッセイ」のような叙事詩は少ないが「うた」は万葉集以前からあった。
つまり人は古代から心の哀歓を「うた」で表現してきたのだ。
というか、「うた」でしか表現できなかった。
ことばと「うた」のつながりの深さをしみじみ感じる。

まだ仮名が存在しない時代に、万葉集が出来上がった。
万葉仮名という無理筋を使ってでも作らねばならなかった。

その後、平安時代に入って仮名が生まれ初の勅撰和歌集「古今和歌集」が成立した。
紀貫之の筆になる「仮名序」にこうある。

「やまとうたは人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。 世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。 花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるものいづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは歌なり…」

貫之のことばは「うた」の本質をついている。
そして、宇宙における「うた」の効果も述べている。

日本人はむかしからこの効果に注目した。
ことばの本質のほうにはあまり注意が向かなかった。

前に何度もおはなししたことだけれども、日本語人はことばに関しては徹頭徹尾実用的なのだ。
だから、このブログのように執拗に言語の起源を考えたりしなかった。
ことばは使ってなんぼのものなのだ。

だから和歌や俳句、物語のような言語文化が発達した。
世界的に見ても日本文学は素晴らしい。
このことは水村美苗さんの「日本語が亡びるとき」にくわしい。

大きな新聞にはかならず全面を使って短歌と俳句の投稿欄がある。
そこに毎回アマチュア歌人や俳人の作品が投稿されている。

これは世界的に見て例がないのではないか。
日本文学を創作する層は厚い。

列島の津々浦々に短歌や俳句の結社があり、毎日アマチュアが作品を競っている。
一体古代から今までどれほどの作品が生まれたことだろう?

それでもいまだに新しい作品が作り続けられている。
そう思うと言語文化の可能性を感じる。

日本語人は言語の本質にはそれほど目を向けなかった代わりに、言語の実用性を重視した。
だから言語文化が花開いたのだ。

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2025年5月18日 (日)

ベートーベンとモーツァルト

私の音楽シーンにはいつも二人の男性がいた。
ベートーベンとモーツァルトである。
その名は誰でも知っている。

ベートーベンとモーツァルトもユーミンと中島みゆき同様好対照である。
モーツァルトがユーミン的だとすれば、ベートーベンは中島みゆき的である。
モーツァルトは聞いていて軽快な気分になる曲が多いが、ベートーベンは重厚な曲が多い。

ベートーベンとモーツァルトは西洋音楽史の双璧をなしている。
ほかにもバッハやブラームスやシューベルトなどがいるけれど、知名度の点でこの二人にかなわない。

二人が双璧なのは、たぶん人間がバランスよく生きていく上でどちらも必要だったからだろう。
人間は重厚だけではもたない。
時として軽快さが必要だ。

このように対照的な二人だが、ひとつだけ共通点がある。
それは晩年に人間の声を取り入れたことだ。

モーツァルトの遺作となった「レクイエム」とベートーベンの交響曲第9番「合唱」である。
この二つの曲は若いころ何度も聞いた。
その時はあまり考えなかったのだけれど、なぜ二人は人間の声、ことばを取り入れたのだろう?

やはり器楽だけでは表現しきれないものを感じたのだろうか?
人間の声が入ってはじめて完璧な音楽になると思ったのだろうか?
そう思うと、人間の声、ことばというのは偉大である。

以前にもお話ししたことだけれど、もともとことばと「うた」は相性がいい。
ずいぶん昔に覚えたうたは、今でもすらすら歌詞が出て来る。
このことはみなさんにもおぼえがあると思う。
文章だけではなかなか覚えられない。

古代の文学作品はみな「うた」である。
ホメロスの「オデッセイ」は叙事詩である。
日本でも最古の文学作品は、「万葉集」という「うた」である。
ずっと時代が下っても、「平家物語」などは琵琶法師が「平曲」にのせて語ったので人口に膾炙した。

人間の言語史のうえで無文字時代は異様に長かった。
「うた」があったので文字の必要を感じなかったのかもしれない。

文字が誕生してからも、無文字社会は多かった。
そこでは「うた」が発達した。
アイヌの「ユーカラ」などもそうである。

現代は「うた」という聴覚に訴えるメディアよりもSNSや動画などのような視覚に訴えるメディアのほうが幅をきかせている。
果たしていいことなのか悪いことなのか?

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