2020年5月31日 (日)

季節と言語表現(その7)

前回は季節をめぐることばづかいについて、気温曲線と重ね合わせながら考えてみた。
1年をサイクルとする気温変化が、日本語を豊かにはぐくんでいることを実感する。

そして繊細さも生み出している。

たとえば春の初めの頃を指して「早春」という。
同じ頃を指して「春先」ということばもある。
不思議なことに、この「先」は他の季節とは結びつかない。
それぞれの季節の初めを指して、「夏先」とも「秋先」とも「冬先」ともいわない。

また。秋の初めの頃を指して「初秋」という。
同じ頃を指して「秋口」ということばもある。
この場合の「口」は、秋にしかつかない。

春秋と夏冬はそれぞれ共同戦線を張って、相対しているのではないかと思うときがある。

たとえば。「ま」は夏冬につき、春秋には使うことができない。
逆に、「たけなわ」は春秋につき夏冬には使えない。
「場」も夏冬には使うことができるが、春秋にはくっつけることはできない。

気温曲線を見ると、春秋は移行期、夏冬は極点を持つという共通性があるからだろうか?

かといって、春と秋、夏と冬についても対称性が保たれているとはいえない。

夏のピークを「盛夏」というけれども、冬の一番寒い時期を「厳冬」という。
春の初めの頃は「春先」というけれども、秋の初めの頃は「秋口」という。

まことに季節をめぐることば遣いは千変万化の感を深くする。

四季は1年を4等分していて、一応平等な顔をしている。
しかし、ことば遣いは人々の季節に対する感じ方を投影している。
そう考えると、四季は平等とはいえない。

地球上の中緯度地方は、日本列島と同じようにみな季節変化がある。
調べたわけではないので確かなことは言えないが、その区分は日本語と同じように大体4区分になっているのではないだろうか。

つまり、どの言語にも日本語の春夏秋冬のように四季をあらわす4つの基本語があると思う。
そして、それぞれの語の上や下にさまざまな修飾語彙がつくのではないだろうか?

ただ、日本語のようにそのくっつき方が千変万化であるのかどうか。

試みに、和英辞書で「早春、初夏。秋口、初冬」をひいてみると。「early spring, early summar, early autum, early winter」と、みな「early」で片づけている。
別の言い方は、と探すけれども、せいぜい「beginning of winter」というくらいだ。
その点では、四季を平等に扱っていると言えそうである。

しかしこれだけをもって、季節をめぐる言語表現は日本語のほうが豊か、と結論づけるのは早計かもしれない。
もっとたくさんの言語について、季節をめぐる言語表現を比較してみたいのだけれれど、残念ながら私にはその能力がない。

たとえば中国語と比較してみればどうだろう?
「早春」や「盛夏」や「晩秋」という語は漢語だろうけれど、中国語でも同じような意味や使い方をするのだろうか?
「早春」と「初春」は日本語と同じような使い分けをしているのだろうか?

中国語母語話者に聞いてみたいところである。

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2020年5月24日 (日)

季節と言語表現(その6)

1年の気温変化をグラフで思い描いてみよう。

春は気温がぐんぐん上昇する季節。
太陽エネルギーが日増しに力強く地上にふりそそぐ。
野に山に街に、生命が躍動するよろこばしい季節(今年の春はちょっと違うけれど…)。
文部省唱歌もそのよろこびを歌い上げている。

「春たけなわ」とは、そんな季節感がもっとも顕著なときを指してあらわすことばだ。

夏は、その気温上昇がピークを迎える季節。
力強い入道雲が、天に向かってむくむくと湧き上がっている。

「真夏」とは、そのピークを言いあらわすことばだ。
「盛夏」ともいう。
「盛」の文字が、盛り上がった夏雲を連想させる。
また、気温曲線の盛り上がりを暗示している。

暑さは厳しく、突然降り出す夕立も激しい。
そんな過激な夏が過ぎると、ようやく気温曲線は下降に向かう。
気がつくと日はめっきり短くなり、ツクツクホウシは悲しげに鳴き、涼しい秋風が立つ。

地上に届く太陽エネルギーは日に日に乏しくなる。
稲刈りが終わると、あたりは急に静かになる。

村の収穫祭の笛の音が夜空に響く。
空には冴えわたった月がかかっている。

「中秋」ということばは、秋の真ん中のこの頃を指していうことばだろう。
不思議に「中春」とも「中夏」とも「中冬」ともいわない。

やがて木枯らしが吹き始め、京都なら北山あたりを時雨が通り過ぎる。
人々は冬ごもりを覚悟し、冬支度をはじめる。
クリスマスやお正月など楽しいこともないわけではないが、冬は忍従の季節である。

寒さは日ごとに厳しくなってゆく。
そして「厳冬」がやってくる。

夏の暑さも厳しいけれど、「厳夏」とはいわず「盛夏」という。
気温のピークを強調したいからだろうか?

大寒から立春にかけて、寒さは「底」を打つ。
気温曲線もたしかに「底」を描いている。
気温という非視覚的感覚を「底」という垂直的空間的な語を流用して表現しているのだ。

言語表現には、この種の流用、悪くいえば「すりかえ」がふつうに行われている。
けれど、人々はそのことをとがめない、とやかく言わない。
むしろ楽しんでいる、という風なのだ。

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2020年5月17日 (日)

季節と言語表現(その5)

「麦秋」ということばがある。
小津安二郎の映画の題名にもある。

秋という文字が入っているけれども、初夏の季語である。
時期としては、麦が稔る6月初旬の頃。

「小春日和」という表現もある。
春という文字が含まれているけれども、晩秋に現れるのどかなぽかぽかと暖かいお天気を指す。
季語としては「冬」の部に分類されているが。

英語では、この時期のこのようなお天気のことを「Indian summer」という。
ドイツ語には「老婦人の夏」という言い方がある。
欧米の夏は、それほど暑熱が厳しくなく日本の春のような穏やかな気候なのだろうか?

いずれにしても、ある時季にあらわれるお天気の特徴を指して、それとは正反対の概念を持ち出して表現する。
なかなかにひねりを利かせた、技巧的な言い方である。
そして、それが効果的、印象的である。

季節をめぐる言語表現を問うていくと、興味が尽きない。

たとえば、「秋深き となりは 何をする人ぞ」という芭蕉の句がある。
秋には「深い」という深度表現がよく似合う。

しかし、その反対語「浅い」は、秋には縁がない。
初秋の頃を「秋浅し」とは言わない。

逆に「浅い」は、春と結びつく。
早春の頃、わたしたちは「春浅い今日この頃、いかがお過ごしですか…」と手紙を書き出す。

秋は気温のグラフが下降する季節である。
その体感、その視覚的イメージが「深まる」という垂直的な空間表現になじむのかもしれない。

しかしこの説明では、春と「浅い」の結びつきはうまく説明できないと思う。

春は気温のグラフが上昇を示す季節である。
そして、早春はその上昇の初期にあたる。
その時期がどうして「浅い」という深度表現であらわされるのか、その筋道が見えない。

夏と冬は、期間を通じて一方向的な気温の変化はない。
夏にはピークがあり、冬には底がある。

だから、段階的な深度表現は似合わないのかも知れない。

「秋が深まる」という言い方の代わりに「夏が闌ける」という。
時期としては地蔵盆の頃だろうか?

夏が爛熟するのである。
夏の場合は、深度表現の代わりに命のプロセスをあらわす表現を借りるのだ。

春は「行く=逝く」、夏は「闌ける」、秋は「深まる」…。
では、冬は?

うーむ、すぐには思い浮かばない。
気温のグラフが底から上昇に転じるあたりをなんと表現するのだろう?

どなたかご教示ををいただきたい。

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2020年5月10日 (日)

季節と言語表現(その4)

日本には四季がある。

と、これまで言われてきた。

しかし、去年の12月から今年2月にかけて、つまり今冬についてはどうだったか?
少なくとも私の住んでいる西日本には冬がなかった。

それほど高温の冬だった。
とても、「暖冬」なんて生やさしいことばで言いあらわすことはできない。
地球温暖化をひしひしと実感する。

春夏秋、春夏秋、春夏秋…。
地球温暖化がさらに進行すれば、こんな三季が常態化するのだろうか?

そうなれば四季の変化に喚起されてきた国民文学、国民音楽はどうなる?
そういえば、最近の文学や音楽は何となく平板になってきたように感じる。

少し前、春がことば遣いの上で特別扱いされている、というお話をした。

忍従の冬があるからこそ、春の到来を待ち焦がれる気持ちが一層亢進する。
その気持ちがことば遣いに反映されるのだ、とその理由づけもした。

しかし、冬にだって特別のことば遣いはある。
たとえば、「冬じたく」、「冬ごもり」など。

他の季節にはこのような言いかたはない。
このような言語表現は、冬が忍従の季節であることを一層あざやかに印象づける。

前々回は、冬の唱歌として「冬の夜」を揚げた。
歌詞を再録しておこう。

ともしび近く 衣縫う母は
春の遊びの 楽しさ語る
居並ぶこどもは 指を折りつつ
日数かぞえて 喜び勇む
囲炉裏火は とうろとうろ
外は吹雪

囲炉裏の端に 縄なう父は
過ぎしいくさの 手柄を語る
居並ぶこどもは ねむさ忘れて
耳を傾け こぶしを握る
囲炉裏火は とおろとおろ
外は吹雪

心に沁みるいい歌だけれど、文部省唱歌として発表されたためいまなお作詞作曲者不詳のままである。

吹雪にとじ込められた藁ぶきの農家。
だけど、囲炉裏のまわりは不思議に暖かい。

父母は生活と生業のためのものづくりに精出している。
むかしのことだから、子だくさんだったにちがいない。
おそらくは四五人の子供たちが、いろりを囲んで父母の話に聞き入っている…。

数多く残された民話やおとぎ話も、こんな雰囲気の中で語り継がれてきたにちがいない。
しかし、今の若い人たちはこの唱歌からこんな情景を想像できるだろうか?

環境が違いすぎてうまくイメージできないかもしれない。
まして、今年のような高温の「冬」であればなおさらだ。
地球温暖化がさらに進むと、もうこんな唱歌は生まれない。

忍従を強いられる季節、という意味なら今こそ冬なのかもしれない。
しかし、遅まきながらやってきたこの「冬」は本当の冬じゃない。

本当の冬なら、必ず終わりがあって春がやってくる。
しかし、この偽りの「冬」は先が見えないのだ。

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2020年5月 3日 (日)

季節と言語表現(その3)

前回ご紹介した「夏は来ぬ」(佐佐木信綱作詞 小山作之助作曲)は、明治29年に発表された作品である。
考えてみれば、日本に洋楽が入ってきてまだ30年もたっていない。

それなのに、100年以上たった今日でも歌い継がれているのはすごい。
明治の人々は、西洋文化を受け入れ消化するのにいかに必死だったかよくわかる。

「夏は来ぬ」が文部省唱歌だったかどうかは知らない。
しかし前回紹介したその他の曲は、すべて文部省唱歌である。
だから当初は作詞作曲者の名が明かされなかった。

国が作った歌、という位置付けだった。
おそらくその頃は、江戸時代には存在しなかった「国民」を教育を通じて形成するのが急務だったのだろう。
国土の美しい自然、四季の彩りを歌い上げることで愛郷心ひいては愛国心を鼓舞することを狙ったのだ。

大正3年には今でもよく歌われる「ふるさと」(高野辰之作詞 岡野貞一作曲)が発表されている。
100年以上にわたってこれほど日本の人々に親しまれている歌も少ない。
おそらくこのころまでに「国民音楽」の基盤が成立したのだろう。

夏目漱石たちの活躍によって日本近代文学つまり「国民文学」が成立したのもちょうど同じ頃のことだ。
つまり音楽や文学の面から見ても、明治期を通じてようやく「国民」が誕生したことがわかる。

「国民」の誕生と合わせて「国語」も成立する。
以後は唱歌も小説も「国語」で表現されることになる。

いま、どの新聞にも俳句の投稿欄がある。
多くの無名の人々がこの短詩型文学を創作している。
他の言語圏でも同じようなことがあるのかどうか。

俳句は基本的に季語を必須とする。
四季の変化と彩りの鮮やかさが際立つ日本列島だからこそ成立し得た国民的文芸ではないだろうか?

はらわたに春したたるや粥の味
夏目漱石のエッセイ「思い出す事など」に出ている。

目には青山ほととぎす初鰹
山口素堂ももうすぐやってくるこんな季節に心躍っている。

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
正岡子規が明治28年に発表した。「夏は来ぬ」と同じころだ。

湯豆腐や命のはてのうす明かり
私の好きな万太郎の句だけれど、これが冬の句なのかどうか自信はない。

俳句は健在だけれど、文部省唱歌はもう作られない。
「国民」がすっかり定着して、もうその使命は終わったということだろうか?

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2020年4月26日 (日)

季節と言語表現(その2)

日本列島は世界のなかでもとりわけ四季の変化があざやかだ。

前回もお話しした通り、

春は芽吹きと成長の季節。
夏は真っ盛りの生命を謳歌する季節。
秋はその生命力が次第に衰えていく季節。
冬は命をつなぐため、ひたすら忍従する季節。

このような変化が列島に住む人々の感性をはぐくむ。

明治から大正にかけて数多く作られた唱歌に、そのことがあらわれている。

桜も終わった今頃なら、こんな歌が似合う。

菜の花畑に 入日うすれ 見渡す山の端 霞ふかし
春風そよ吹く 空を見れば 夕月かかりて 匂いあわし
(「朧月夜」 大正3年 高野辰之)

つい眠気をさそうような、穏やかな春の暮。
今年の春もこんなだったらよかったのに…。

もう少し季節が進むと、太陽の高度が高まるのとともに曲調も元気にリズミカルになってくる。

夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘みじゃないか 茜たすきに菅の笠
(「茶摘み」 明治45年 作詞者不詳)

宇治や静岡では茶の栽培が盛んだけれど、百年前には本当にこんな情景が見られたのだろうか?

次の歌ももう少し進んだ時期の季節感満載だ。

五月闇 蛍飛び交い 水鶏啼き 卯の花咲きて
早苗植えわたす 夏は来ぬ
(「夏は来ぬ」 明治29年 佐佐木信綱)

秋を内省の季節。曲調も落ち着いてくる。

秋の夕陽に 照る山もみじ
濃いも薄いも 数ある中に 
松を彩る楓や蔦は 山のふもとの裾もよう
(「紅葉」 明治44年 高野辰之)

そして冬。

ともしび近く 衣縫う母は
春の遊びの楽しさ語る
居並ぶこどもは 指を折りつつ
日かず数えて 喜び勇む
囲炉裏火は とうろとうろ
外は吹雪
(「冬の夜」明治45年 作詞者不詳)

冬がひたすら忍従を強いられる季節であること、春を待ち望む気持ちの切実なことがよくわかる。

今はもうこのような唱歌は作られない。
若い人はもうこんな歌を知らないのではないか?

もちろん新しい歌は次々にできているけれど、ことばを豊かにする季節感覚がだんだん平板になってきているのではないだろうか?

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2020年4月18日 (土)

季節と言語表現

いまは春。
それも「春らんまん」という表現がピッタリくる。

「らんまん=爛漫」というむずかしい漢語は。辞書を引くと「花の咲き乱れたさま」とある。
だから、「秋たけなわ」とは言えても「秋らんまん」ということばはない。

前回はそれぞれの季節の、いちばんその季節らしい時期を指す表現がある、というお話をした。

春なら、「春たけなわ」あるいは「春らんまん」。
秋なら、「秋たけなわ」。

夏と冬の場合は、「たけなわ」は使えない。
そのかわり、「ま」という接頭辞を用いて「真夏」、「真冬」という。

「ま」は季節以外にも広く使われる。
指示対象の真髄、あるいは中核をストレートに表現したい場合に重宝される接頭辞だ。

方位なら、真正面や真南。
図形なら、まんまる、あるいは真四角。

真ん中のさらに中心を指して「まんまんなか」というけれども、いつのころからか「どまんなか」というあまり品の良くないくずれた言い方のほうが主流になった。

それはさておき、「真夏」のことは「盛夏」ともいう。
「真冬」のことは「厳冬」という。

こうして季節をめぐる言語表現を見てくると、人々は季節の進行を生命の消長と関連付けて理解していることがわかる。

春は芽吹きと成長の季節。
夏は真っ盛りの生命を謳歌する季節。
秋はその生命力が次第に衰えていく季節。
冬は命をつなぐため、ひたすら忍従する季節。

前回、言語表現の上で春は特別扱いされている、というお話をした。

食糧事情も医療水準も今ほどでなかった古代の人々にとっては、常に緊張感をもって生き抜かなければならなかった。
長く厳しい冬のトンネルの出口が見えた時の、人々の喜びと安堵感は察するに余りある。

だから、春は他の季節と違って特別なのだ。
そしてその春が去っていくときも、人は特別の感慨を持つ。

「惜春」と言い「行く春(逝く春)」という。
他の季節の終わりには、このような特別の感慨を連想させることばはない。

ところで、他の言語の場合、このような多彩な季節表現はあるのだろうか?
温帯地方には四季があるのだから、それなりの表現はあると思う。

日本列島はとりわけ季節変化があざやかだから、それを表現するためのきめこまかなことばが発達したのは分かる。
フランス語やタイ語やロシア語やコプト語ではそのあたりどうなのだろう?

いまは春。
でも、今年の春はいつもの春じゃない。
本当の春は、いつやってくるのだろう?

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2020年4月11日 (土)

復活の日(その2)

いまは春。

日本の春を象徴する桜もそろそろ散り始めている。
わが家でも、あしたあたり向かいの公園で恒例となった「散りゆく桜を惜しむ会」を開こうと思う。

桜が葉桜になるころには、花のリレーのようにつつじが咲き始める。
チューリップも盛りになる。

いまは春のなかでも、いちばん春らしい時期だ。
日本語では、このころを指して「春たけなわ」、「春らんまん」と表現する。

前にもお話ししたことだけれど、夏や冬についてはそのピークを指して「真夏」、「真冬」という。
一方、春や秋のピークについては頭に「ま」をつけることはできない。
そのかわりに、おしりに「たけなわ」をつけて表現する。

ただ、春と秋という季節の過渡期の共通点はここまでだ。
「春らんまん」とは言えても「秋らんまん」ということばはない。

また、「春一番」ということばはだれでも知っているけれど、秋になって初めて吹く涼しい強風のことを「秋一番」とは言わない。

季節のはじめの頃を指して「初夏」、「初秋」、「初冬」というけれども。「初春」は少し意味が違う。
春のはじめの頃は「早春」という。

ことば遣いの上からみると、どうも春は他の三つの季節と違って特別扱いされているような気がする。
古くから、わたしたちにとって春を待ちこがれる気持ち、春の到来を喜ぶ気持ちは他の季節よりもはるかに強かったのだろう。

ふつうなら、いやが上にも心浮き立つ季節である。
でも、今年の春はそうじゃない。

前回お話しした小松左京さんの「復活の日」は第1部が「災厄の年」となっている。
そして、「第1章 冬」、「第2章 春」、「第3章 初夏」、「第4章 夏」と季節の進行とともに災厄が広がっていく様子が描かれている。

日本では「第2章 春」の「2 4月第2週」で災厄の兆候があらわれ始める。
そして、「第3章 初夏」の「3 日本」には「相撲協会理事長、夏場所を十日で打ち切り決意か?」という新聞記事が紹介されている。
つい、今の状況と重ね合わせてしまう。

このSFでは、人類は「第5章 夏」の「5 8月第2週」で南極の人々を残してほぼ死に絶えることになっている。

あらためて読み返してみて、小松さんのイメージ喚起力はすごいと思った。
そして、小松さんは救いとして「第2部 復活の日」を置いて、この物語を締めくくっている。

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2020年4月 4日 (土)

復活の日

時節柄、小松左京さんの「復活の日」を再読している。

この小説は、未知のウィルス感染によって世界で35億人が死亡し、南極にのがれた1万人だけが生きのびる、というSFである。

もとはといえば、そのウィルスは某国が細菌戦用にひそかに開発したものだった。
それが誤って社会に流出したのが、この災厄の原因なのだ。
しかも、猛威をふるったこのウィルスを死滅させたのは、核戦争用に開発された中性子爆弾の爆発によってだった…。

人間の愚かさが災厄を招き、別の愚かさがその災厄を終息させるという実に皮肉な筋立てである。

この作品の中に、「ソ連という国はもうない」という一節が出てくる。
小松さんはソ連の崩壊も予言したのかと思ったけれど、そうではなかった。
ソ連はウィルスによって滅亡するのだった。

小松さんの作品では「日本沈没」が一番有名だけれど、これが最高傑作とは思わない。

初期の作品では、「日本アパッチ族」など奇想天外でけっさくだ。
「地には平和を」もめちゃくちゃ面白い。

小品では、「哲学者の小径」は京都を舞台にした青春小説として味わい深い。
「くだんのはは」は、戦前の芦屋を舞台にしていて、怖いけれども親しみ深い。
なぜなら、私の母も同じころ芦屋に住んでいて、当時の話をよく聞かされたからだ。

個人的には「果てしなき流れの果てに」がいちばんいいと思う。
本格長編SFとして、小松さんは気合を入れて書いているし、まだ若かった私も気合を入れて読んだ。
「神への長い道」はこの作品の短編版と考えていいだろう。

いま。書名をあげたこれらの本のほとんどは私の手元にはもうない。
売ったり処分した記憶はない。
何回か引越したので、その時に散佚したのだろうか?

なぜか「復活の日」だけが、本棚の片隅に残っていた。
今の状況を考えると不思議な感じがする。

この本は日本SFシリーズの1冊として早川書房から出版された。
部厚いソフトカバーの本だけれど、カバーの表紙はもうなくなってオレンジ色の本体だけが残っている。
カバーはどんな装丁だったのだろう?

奥付を見ると、昭和39年(1964)初版発行とある。
東京オリンピックが開催された年だ。

「ライ麦畑でつかまえて」も、「されど われらが日々ー」も同じ年に出ている。
「赤頭巾ちゃん気をつけて」はその5年後だ。

前回もお話ししたけれど、あの頃は本当に面白い小説が多かった。

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2020年3月29日 (日)

「キャッチャー」とは何か?(その15)

このシリーズの最初にお話ししたように、野崎訳と村上訳の間には40年の時代差がある。

その間に日本語の世界で起こったいちばん大きな変化は、英語がリンガフランの地位を確立し日本語がその補完語になった、ということである。

ただし、ホールデンのしゃべる英語は普遍語ではない。
1950年代のニューヨークに住む少年の固有語なのだ。

だから日本語への翻訳が必要なのだけれど、野崎さんの言う通り「この文体は50年代アメリカのティーンエイジャーの口調を実に的確に捕えていると推賞され、これを日本語に訳すことは至難」なのだ。

その至難な作業を野崎さんはみごとにやってくれた。
だから、私も含めてその頃の日本の若者たちはみなこの訳書を読んだ。

少年の饒舌と言えば、この訳書の5年後に発表された庄司薫さんの「赤頭巾ちゃん気をつけて」を思い出す。

この小説は、ホールデンと同じ年頃の少年・薫くん(日比谷高校生なのだ)がある一日の出来事を語るという形式なのだが、その饒舌ぶりが「キャッチャー」ととてもよく似ている。
ある研究によれば、この小説も「キャッチャー」の影響を受けているのだそうだ。

薫くんの口調は60年代から70年代にかけての東京の少年の固有語だろうか?

私は最近、半世紀ぶりにこの小説を再読したのだけれど、それほど違和感なく読めた。
だから、ホールデン語ほど限られた固有語ではないと思う。

「赤頭巾ちゃん気をつけて」の5年前、つまり野崎さんの訳書が出版されたのと同じ年に、柴田翔さんの「されど われらが日々ー」が発表されている。
この小説は、薫くんよりもやや年かさの青年が語る青春の挫折の物語である。

語り手の「私」は饒舌ではない。
静かな、端正な、内省的な日本語で語る。
同じ若者の手記でも、固有語ではなく標準的な日本語で語っている。

思えばあの頃は今よりも本を読むのが楽しかったような気がする。
私にとって、豊かな読書体験だった。

今のほうが、日本文学はやせ細っているのではないだろうか?
それは日本語が補完語になった変化とも無関係ではないと思う。

繰り返すけれど、野崎訳と村上訳の間には40年の時代差がある。
その間の大きな変化は、もうひとつある。

それはネットの発達である。
40年前には、インターネットなんてかげも形もなかった。
スマホもなかった。

今はネット空間に言語があふれている。
ネットでもスマホでも、ことばによるおびただしコミュニケーションが行き交っている。

この変化は日本語表現をみがくこと、鍛えることに役立っているだろうか?

残念ながら、そうは思えない。
逆に、世間にお金があふれるとインフレが起こるように、ことばの価値が下がっているように思えてならない。

このことが日本文学の衰退につながっているのではないだろうか?
あなたはどう思いますか?

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