2022年11月27日 (日)

哲学と言語

まるでそのつもりはなかったのだけれど、なりゆきのおもむくままむずかしい人たちを何人も取り上げてしまった。
しかもヤコブソンを除けばフランス語で書いた人たちばかりだ。
フランス語はむずかしいことを書くのに適しているのだろうか?

内田樹さんによると、フランスは日本よりはるかに強固な階層社会らしい。
エクリチュールも階層ごとに縛りがある。

このブログで取り上げた人たちのエクリチュールは、階層上位の人たちを相手にしている。
つまり、「わかる人にはわかる」のだ。
だから、かれらは平気でむずかしいことを書ける。

そもそも階層下位の人々はかれらの書いたものなど読まないから、日本のように「むずかしすぎるよこれ」と文句を言う読者などいないのだ。

ところで千葉雅也さんの「現代思想入門」によると、このブログで取り上げた現代思想の源流はニーチェ、マルクス、フロイトに始まるらしい。

何とこの人たちはみんなドイツ語で書いた人たちだ。
そういえば、ひとむかし前まで「哲学はドイツ」というのが相場だった。
たしかに哲学者と言えばカント、ヘーゲル、フッサール、ヤスパース、ハイデガーなどドイツの人の名前がすぐに浮かんでくる。

でも、この傾向は第二次大戦とともに終わったようだ。
それ以後中心はフランスに移る。
そのシンボルがサルトルでありボーボワールだった。
戦後しばらく、日本でもこのふたりが若者たちの知的ファッションみたいになっていた。

やがて実存主義から構造主義に流行が移って、このブログで取り上げたような人たちがあらわれるのだ。

そして、今はどうか?
ドイツもフランスも凋落したのではないか?
少なくとも、若者のファッションになるような思想や哲学は見当たらない。
ドイツもフランスも私が読んでみたい(翻訳で)と思うような人はいない。

では、これらに代わってイギリスやアメリカか?
こちらのほうも、若い人たちを虜にするような哲学はあらわれていないようだ。
もちろんこれは管見の限りだから、「いや、そうじゃない。こんな人がいる」という人がいれば、ぜひご教示いただきたい。

かつての哲学では、「人間」が不動の中心だった。
そしてその「理性」に限りない信頼を置いていた。

しかし構造主義やポスト構造主義では、中心に人間がいない。
と言うか、そもそも「中心」を認めない。
すべてのものは他との関係の中で意味を持つ。
中心と周縁という構造でなく、いわば相互依存の網の目構造なのだ。

そして、フーコーによるとその「人間」も近代の発明に過ぎないし、それも終焉が近いという。
また、デリダによる脱構築によって「理性」への絶対的信頼性も揺らいでいる。

今や人々は何をよりどころにして考えればいいかわからない。
それが、現在の哲学の混迷の原因ではないだろうか?

バルトの言っていたように、「中心の空虚」に慣れている日本がこの混迷から抜け出すカギを握っているかもしれない。

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2022年11月19日 (土)

レヴィ・ストロースとヤコブソン

「野生の思考」はメルロ・ポンティに思い出にささげられている。
レヴィ・ストロースは「序」の中でその理由を書いている。

かれの思想形成にメルロ・ポンティとの交流が大きな影響を与えたようだ。
大橋さんも本書の「訳者あとがき」の中でそのことに触れている。

レヴィ・ストロースの思想形成、構造主義の着想に大きな影響を与えた人がもう一人いる。
ロシア生まれの言語学者、ロマン・ヤコブソンである。
大橋さんは「訳者あとがき」の中で、「ヤコブソンの音韻論の知識が本書理解の前提になっている」と言っている。

ヤコブソンは若いころロシアフォルマリストとして活躍したのち、24歳でプラハに移った。
ここでは言語学のプラハ学派を組織したのだけれど、ナチスのチェコ侵攻を避けてスウェーデンにのがれた。
最終的に1941年アメリカに渡った。

そして、その前年ナチスのユダヤ人迫害のためにアメリカにのがれたレヴィ・ストロースとニューヨークでめぐり合うことになる。

ふたりはたがいの知見を教えあい、共同で論文も書いている。
とりわけヤコブソンの二項対立の理論が、レヴィ・ストロースに大きな影響を与えた。
レヴィ・ストロース自身が著書の中でそのことに触れている。
こうした交流の中から、かれの構造主義の着想も生まれたのだと思う。

ところで、ヤコブソンは若いころから欧米各地を渡り歩いた人だけれど何語で論文や著作を書いたのだろう?

ヤコブソンは24歳でロシアを離れたから、母語はロシア語のはずである。
でも、言語学者だから当然さまざまな言語に通じていると思う。

いま、私の手許には「一般言語学」(ロマン・ヤコブソン 川本茂雄ほか訳 みすず書房 1973)がある。
この本の表紙にはフランス語の表題が添えられている。

しかし「訳者まえがき」によれば、この本はフランス人の学者がヤコブソンの論文をまとめて編んだ選集らしい。
そして、ヤコブソンのオリジナルテキストは英語で書かれているという。

さらに訳者の紹介によれば、ヤコブソンはこのほかフランス語でもドイツ語でも論文を書いている。
何か国語も自由自在に書き分けるのだから、言語学者とはいえ驚く。

日本語のほか中学生程度の英語しかできない私にとっては、うらやましい限りである。
先天的な語学の才があったのだろうか?

レヴィ・ストロースとヤコブソンの出会いは歴史の偶然によるものだけれど、構造主義の誕生にとっては幸福な出会いだった。
二人のたがいに対する敬意と親愛は終生続いたようだ。
ヤコブソンも「一般言語学」に収録された論文「言語学と隣接諸科学」をレヴィ・ストロースにささげている。

つねに出会いは何かのはじまりなのだ。

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2022年11月13日 (日)

レヴィ・ストロースと三色すみれ

大橋保夫の「野生の思考」は名訳のほまれがたかい。
と、梅棹忠夫さんが言っていたので、名訳とはどんなものか知りたくて図書館から借りてきた。

その名訳とはこんな具合だった。
「野生の思考のこれらの面はことごとくサルトルの哲学にも見出される。まさにそのゆえにこそ、この哲学には野生の思考を批判する資格がないと私は考える。(中略)民族学者にとっては、この哲学は(他のすべての哲学と同様に)第一級の民族誌的資料である。現代の神話を理解しようとすればその研究は不可欠であろう。」
(クロード・レヴィ・ストロース 大橋保夫訳「野生の思考」 みすず書房 1976)

なるほど、わかりやすい。
この皮肉の利いた一文を読むだけで、当時フランス哲学界の旗手だったサルトルの権威がこの本によって失墜したというのもわかる気がする。

ところで、「野生の思考」という日本語訳表題のことである。
フランス語の原題は「La Pensse sauvage]である。
それがどうして「野生の思考」と訳されたのか?

大橋さんは「訳者あとがき」でこのことに触れている。

「sauvage」はふつう「野蛮」と訳されることが多い。
西洋社会の根深い偏見が詰まった語である。

しかし、この語が植物に適用されると栽培種に対する「野生」という意味になる。
そして「pensse」は「思考」の意味があり、同時に「三色すみれ」をも指す。

レヴィ・ストロースはこの二つの語の両義性を利用してこの原題を考えた。
巧妙な仕掛けである。

この本の表紙には三色すみれの絵が大きく描かれている。
またこの本の末尾には三色すみれにまつわるヨーロッパの民話が付録として収録されている。
このこともレヴィ・ストロースの意図を暗示している。

こうして「野蛮」ではなく「野生」になった。
野生の思考のスタイルは、現代のいわゆる文明人にもふつうにみられる。
レヴィ・ストロースは野生の思考に正当な地位を認めた。
歴史的な転回である。
「野生の思考」というタイトルはそのことを象徴している。

と、大橋さんは言っている。
なるほど、表題ひとつを訳すにもそこまで考えなくてはいけないのか!
たしかに名訳である。

大橋さんはレヴィ・ストロースの文体について、「訳者あとがき」で次のように言っている。

「本書はレヴィ・ストロースの著作の中でも格別に難解なものとして知られている」

そしてその最大の原因としてかれのこりにこった独特の文体をあげている。
「現代のフランス語の文章に対するその影響はきわめて大きく、おそらく本書はフランス語史にその名をとどめるであろう。」

内田樹さんによると、レヴィ・ストロースは論文執筆にあたっては必ずマルクスの任意の著作の数ページに目を通したという。
そうすると、脳が活性化するのだそうだ。
なるほどレヴィ・ストロースの名文には、そんな秘密があったのか。

ともあれ名文とその名訳である。
いいものを読ませてもらった。
といって、サルトルを批判した最終章しか読んでないけれど…。

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2022年11月 6日 (日)

フーコーのエピステーメー

関学の生協でフーコーの「言葉と物」を見つけて買ったのはもう10年前になる。

もちろん難しいので読んでいない。
10年間本棚の奥でほこりをかぶって眠っていた。
それがこのシリーズが始まって、思い出してほこりを払って開いてみた。

読んでいないと言ったけれど、最初と最後の1ページだけ読んだ。
最初の1ページでは、「シナのある百科事典」における動物の分類法を紹介している。
われわれの思考の枠組みを揺るがすような奇想天外な分類法である。
この衝撃が「言葉と物」の動機になっている。

実は、この「シナの百科事典」のことはボルヘスのエッセイ集(J・L・ボルヘス 「続審問」 中村健治訳 岩波 2009)の中の「ジョン・ウィルキンスの分析言語」に載っていて、私は「言葉と物」よりも先にこれを読んでいた。

なので、「ほう!」と思った。
フーコーをちょっと身近に感じた。
この調子で読んでいけばよかったのだが、根気が続かなかった。

それはともかく、この本の主題は思考の枠組みと時代によるその変化である。
この思考の枠組みをフーコーは「エピステーメー」というギリシャ語で呼んだ。
「エピステーメー」はこの本のキーワードなのだ。

フーコーは、西洋の古典主義の時代(17世紀中ごろから18世紀)をはさんでその前と後(フーコーは「近代」と呼んでいる)とでは、「エピステーメー」に断続的な変化があらわれると言い、生物分類学、文法学、経済学の分野でそれを論証している。

その結果、「人間」があらわれたのは近代になってからだ、とフーコーは言う。

この本の本文の前に、ベラスケスの「侍女たち」の図版が載っている。
そして、この本の第1章「侍女たち」で、フーコーはこの絵を詳細に分析している。
その中でフーコーはこの絵には近代的な意味での「人間」が不在であることを論証している。

では近代において「人間」が「エピステーメー」にどのようにかかわってきたか、ということが大事なのだが、白状すれば読んでいないのでその肝心のことがわからない。
探求心の旺盛な方は、「言葉と物」を私に代わって読んでいただきたい。

その「人間」ももうすぐ終わるらしい。
この大部の本の最後のページで、フーコーはこう書いている。

「人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明にすぎぬ。そしておそらくその終焉は近いのだ]  、
(ミシェル・フーコー 渡辺一民・佐々木明訳 「言葉と物」 新潮社 1974)

そして、最後の1行が印象的だった。
「人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろう」

「あとがき」の中で、訳者はこう言っている。

「フランス語という個別言語の特性に根ざしているだけに、異なった言語体系への移植をほとんど許さぬものであった。」
そのために、「訳者は再三ならず翻訳不能ではないかという疑念にとらえられた」

翻訳不能じゃないかと思った、という点ではデリダと共通している。
しかし、その難解さはデリダとは別種だと思う。

そのテキストはデリダのように変てこではなく、割にお行儀が良い。
読者に挑むようなエクリチュールの実験もしていない
だから根気さえあれば、読んで理解することも可能な気がする。

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2022年10月30日 (日)

デリダのテキスト戦略(その3)

前回は、デリダの「dissemination」の日本語訳、「散種」についてあれこれあげつらってみた。
おかげで少しわかったような気がしたけれど、「散種」という語が面妖であることには変わりがない。

「訳者あとがき」には、どうしてこのようなタイトルにしたのか、その経緯に一切触れていない。
ひょとすると、「散種」という造語は訳者によるものではなく、それ以前から日本のデリダ研究者の間ではふつうに使われていたのかもしれない。

デリダの著作は、その困難さにもかかわらず多くの外国語に翻訳されているらしい。

たとえば中国語に翻訳されたこの本のタイトルは何だろう?
やはり「散種」だろうか?それとも…。

スワヒリ語に翻訳されたこの本のタイトルは何だろう?
やはり訳者による新造語だろうか?
私には調べるすべがないので、ご存知の方はご教示いただきたい。

デリダの数ある著作のなかでも、「弔鐘」(1974)についてはまだ日本語訳が出ていないようだ。
テキストの変てこぶりがさらに過激になって、さすがに日本語訳が不可能、ということになっているのだろうか?

デリダの本を見る(この物理的な動詞のほうがふさわしい)ということは、デリダの華麗で奔放で奇怪なパフォーマンスを、遠巻きにして眺めていることに似ている。

そして時々、このセンテンスの言わんとしていることはこうであろうか、ああでもあろうかと推察しているのだ。
とにかく、ふつうの「読む」という行為では太刀打ちできない。

もちろんデリダはこのような破天荒なテキストをわざと書いている。
自身の脱構築の理論の実践のつもりかもしれない。

「散種」の「訳者あとがき」で、藤本さんはこのテキストはデリダから読者への挑戦状だと言っている。
挑戦されたからには受けて立たねばなるまい。

ただし、私はフランス語が分からないので、翻訳書の土俵で勝負するしかない。

「絵葉書」の「訳者あとがき」で若森さんは、「これまでデリダの翻訳はしばしば非常に読みにくく、ただ難解なだけという印象を持つ読者がいるかもしれません」と言っている。
そう、私もその一人なのだ。

そして、この本の翻訳の基準として、第一にフランス語学の次元でできる限り正確であること、第二に日本語として読むに値する、信頼のおけるテクストを作ること、を挙げている。

若森さんは、さらに「デリダのテクストが日本語になりにくい理由あるいは原因については、稿を改めて検討する必要がある」と述べているが、一刻も早くそのことを教えていただきたい。

それはともかく、これで挑戦を受けて立つ用意はできた。

デリダのテキストが戦略なのだから、こちらも戦略を持たねばなるまい。
その戦略として、私は脱構築と「散種」の方法を用いることにした。

ふつう「読む」とは「だれかの書いたものを」という目的語がくっついている。
まず初めにこの「だれか」、この場合はデリダを切り離してしまう。

あとは読む人がテキストを自由に料理していい。
解釈は自由だし、何なら書き換えて別のテキストにしてしまってもいい。
デリダが、それは誤解だ、それはひどいと言っても、もう切り離しているのでかまわない。

私はこのテキストを読むことで創造力を発揮しているのだ。
そして、各所に新しいテキストを「散種」していく…。
時が経って、どんな花が咲くか楽しみだ。

自分でも、こんなことは妄想だと思う。
しかし、デリダのテキストに接することによって「読む」という行為について再考させられたことは確かだ。

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2022年10月23日 (日)

デリダのテキスト戦略(その2)

前回はおもに「絵葉書」を取り上げて、デリダのテキストの変てこぶりを紹介した。
私の手許にあるもう1冊のデリダの本は「散種」である。

「散種」という語は広辞苑には載っていない。
たぶん他の国語辞典にも載っていないだろう。
私も生まれてこのかた、こんな語に出会ったことがない。

「散種」はこの本のフランス語原題「dissemination」の日本語訳である。
グーグル翻訳では、「dissemination」は「普及」となっている。
しかし訳者は、「普及」というふつうの日本語では読者の誤解を招くと考えて造語したのだと思う。

漢字の字義を手がかりにすれば、その意味は何となく分かる。
何かの種をあちこちにばらまくことだろう。

そして時が経つと、その種からそのばらまかれた地の環境に応じて、違った花が咲く。
すなわち差異が生ずる…。

こうして「散種」とデリダのキー概念のひとつである差異とが結びつく。
だからそれほど間違った解釈ではないと思うのだが、どうも自信がない。

デリダは本文のなかでも、ところどころ「散種」という語を使っている。たとえば…。

それゆえ、テクスト的な諸審級の向こうに、創造的なものや志向性、もしくは体験の中に再我有化すべきテーマ的統一性もしくは全体的意味など存在しないのだとすると、もはやテクストは、ある多義的な文献のなかで回折し集結するような何らかの真理の表現ないし表象(見事なものにせよそうでないにせよ)ではない。
散種という概念を用いる必要が出てくるとすれば、多義性というこの解釈学的概念に取って代えるためである。
(ジャック・デリダ 藤本一勇他訳「散種」法政大学出版局 2013)

しかしこの文が理解できないので、結局「散種」が何だかわからない。

東浩紀さんは、「存在論的、郵便的」というデリダ論(新潮社 1998)の中で、パロール的多様性=多義性、エクリチュール的多様性=散種と整理している。
この場合のパロールは声、エクリチュールは文字である。

エクリチュールという語は、デリダの本文の中にも頻出するけれども、おおむねこの区別で使っている。
その意味では、バルトよりもさらに文字あるいは書きことばに近い。

そうか、散種という概念はエクリチュールの特性から生まれたのか。
ここまで来て、ようやくほんの少し腑に落ちた気分になった。

それでも、散種という造語が明治初期の多くの造語、たとえば演説や経済や哲学のように社会一般に普及することはあるまい。今後も、あくまでもデリダに言及する場合に限られるだろう。

散種という造語は、フランス文学やフランス思想を専門とするえらい先生たちがが考え出した語だから尊重すべきだろう。

でも、「訳語は、言語学その他の専門領域にのみ通用しているものはなるべく避けて、一般の共通言語として機能しうる日本語を選ぶことに努めた」という宗左近さんならどんなタイトルにしたか、ちょっぴり興味がある。

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2022年10月 9日 (日)

デリダのテキスト戦略

ロラン・バルトはエクリチュールについて、さまざまな実験をした。
自伝的エッセイを断章形式で書き、それを標題のアルファベット順に配列するというのもそのひとつだろう。
ある意味で、読者への挑戦でもある。

ジャック・デリダはエクリチュールの実験、読者への挑戦という意味でバルトのさらに上を行く。
デリダのテキストは、ラカンとは別の意味で難解である。
難解というよりも、奇妙というほうが適切かもしれない。

いま私の手許にはデリダの本が2冊ある。
「散種」(藤本一勇他訳 法政大学出版局 2013)と「絵葉書Ⅰ」(若森栄樹他訳 水声社2007)である。
どちらも部厚く、値段も高い。

むろん本屋さんで買ったものではない。
図書館で借りてきた。

まじめに読もうと思って、借りたのではない。
ものすごく難解という評判を聞いたので、どのくらい難解なのか確かめてみたい、といういわば好奇心からである。

こういう本は、まず「訳者あとがき」から読む。
ふたつの本に共通していることが2点ある。

ひとつは、内容解説に代えてデリダ自身の文を紹介していることである。
そのデリダの文が理解できないので、結局本の内容がわからない。

もうひとつは、これらのテキストの翻訳不可能性に言及していることである。
どちらの訳者も、一瞬にせよ「このテキストは日本語に翻訳できないのではないか?」と感じたことを述べている。
専門家がそう思うくらいだから、わたしがわからないのは当たり前かもしれない。

たとえばこんな調子。

1979年5月   通学かばんをめぐる君の夢について、もう一度よく考えてみた。それは(以下空白)
1979年8月5日 こうした奇妙な関心事に身を委ねることで、私は何に違背しているのだろうと思う。誰に、どんな誓約に、そしてもはや君ではない誰を誘惑するために。この問いは馬鹿げている。あらゆる問いは。

「絵葉書Ⅰ」は、こんな意味不明の疑似書簡で全編(373ページもある!)が占められている。
「訳者あとがき」で、若森さんは「読者がこの本を読んで好きになれば、翻訳は成功しています」と言っているけれど、この本をちゃんと理解して好きになる読者がどれほどいるのだろう?

デリダの、特に後期の著作は、内容もさることながら形式面でもこのように疑似書簡の方法を取り入れたりして、読者をびっくりさせる。
また、文字のスタイルやレイアウトの面でも実験的な試みをしている。

もちろんデリダはわざとこういうことをやっているのだ。
読者に挑むように。

デリダのテキストがこのような奇妙なものになったのは、70年代からだという。
それまでのデリダのテキストはわりと行儀のいいものだったらしい。

そのお行儀のいい論文群で展開した独自のテキスト理論を70年代に入っていよいよ実践に移し始めた、ということだろう。
脱構築を主張したデリダならではである。
しかしデリダはそれでいいのだろうけれど、読者にとってはこの時期以降のテキストは暗号解読に近くなる。

たぶん、デリダは「読む」というありふれた行為の意味を読者に再考させたいのだろう。
単なる情報受信行為ではなく、「読む」という行為に潜む創造性に気づかせたいのだと思う。

そう考えると、エクリチュールという概念は「書く」だけでなく「読む」という行為にまで広がっていくような気がする。
エクリチュールというのは何なのか、ますますわからなくなってきた。

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2022年10月 2日 (日)

バルトの断章(その3)

前にもお話したように、「記号の国」は表むきは日本と西洋の比較文化論だけれど、真の主題はバルトの考えるエクリチュールなのだ。
それなのに、バルトの考えるエクリチュールとは何なのかいまいちよくわからない。

バルトはエクリチュールの語をさまざまな意味で用いている。
書体、文字、書く行為、書かれたもの、文体、書くことへの愛、文学の原動力…。
私がわからないのも当然かもしれない。
(以上は、「バルトによるバルト」という本の訳者である石川美子さんの訳注)

文字あるいは書ということが共通しているけれども、書きことばに限らないような気もする。
パロールにも、エクリチュールの概念は通用するのではないか?

実はこの本については別訳(ロラン・バルト 宗左近訳 「表徴の帝国」 新潮社 1974)がある。
その中で訳者の宗さんはエクリチュールを「表現体」と訳し、「エクリチュール」というルビを振っている。

このことについて宗さんは、「訳語は、言語学その他の専門領域にのみ通用しているものはなるべく避けて、一般の共通言語として機能しうる日本語を選ぶことに努めた」、「基本的な概念となる一つの原語は、できるだけ一つの日本語で置き換えようと試みた」と言っている。

ある文脈において、バルトがエクリチュールをこのうちどんな意味で用いているか?
それを知る手がかりはある。

それが前回の終わりのほうに記しておいた空虚、中心、意味、と言った語彙群である。
実際これらの語は、この本の全編にわたって頻出する。
これらの手がかりを注意深くたどっていけば、バルトの考えるエクリチュールにたどり着けそうな予感がする。

この本で重要な位置を占めている俳句もその手がかりの一つだ。この本でバルトが例として挙げている俳句は14句に上る。
私の知らない句も多い。

フランス語に訳された俳句(バルトが読んだもの)を日本語に再訳した俳句にはこんなのがある。

夕方 秋、
わたはただ思ふ
両親のことを。

すでに4時だ!
わたしは9回も起きた
月に見とれるために。

最初の句は与謝蕪村の「父母のことのみ思ふ秋のくれ」、次は芭蕉の「九たび起きても月の七つ哉」である。
フランス語のはオリジナルにはない「わたし」が入っている。
ラングの決まりに従って、入れなければ仕方がないのだ。

ただ、この「わたし」は軽い。
主体としての「わたし」、自我と深く結びついたような「わたし」ではない。
何なら「かれ」や「あなた」と入れ替えても大きな違いはない「わたし」である。
つまり、符牒のような役割しか果たしていない。

そんな俳句における{わたし」を発見したことで、バルトはテキストに「わたし」を使い始める。
実際、「記号の国」の冒頭は「もしわたしが…」ではじまる。
俳句における「わたし」が気に入ったようだ。

さて、バルトは無垢のエクリチュールということをいう。
内田樹さんによれば、エクリチュールは語り手(あるいは書き手)にとっての檻だという。
つまり、語り手を拘束する。

しかしバルトはあらゆるとらわれから自由な、つまり語り手を拘束しない無垢で透明なエクリチュールにあこがれる。
しかし、そんなエクリチュールがあり得るのだろうか?
バルトはその稀有な例がカミュの「異邦人」だという。

なので、わたしも「異邦人」(の日本語訳)を買って読んでみた。
たしかに、和訳を通じてでもそのカラッとした文体はしのぶことができる。
でも、バルトや内田さんが言うほど奇跡的な独創的な達成とは感じられなかった。
私の感受性がにぶいのだろうか?

「異邦人」はともかく、バルトにとっては俳句も無垢のエクリチュールと感じられたのは確かなようだ。

前にもお話ししたように、バルトは断章というスタイルを好んだ。
前出の「バルトによるバルト」という著作も350ほどの断章で編まれた自伝的エッセイだ。

その中には「断章の輪」という断章もあって、こう書かれている。

断章で書く。
すると、それらの断章は、輪のまわりの小石になる。
私は自分を丸く並べているのだ。
私の小さな全宇宙が粉々になる。
中心には何があるのか。
(ロラン・バルト「バルトによるバルト」 石川美子訳 みすず書房 1975)

私の断章もこんなふうだろうか?

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2022年9月25日 (日)

バルトの断章(その2)

バルトは断章というスタイルを好んだ。
実際、「記号の国」も短い断章の積み重ねである。

「記号の国」は、26の断章からなっている。
でたらめに並べたのではなく、最初の3章は言語について、次の4つの断章は日本料理について、さらに次の4章は東京の都市論…と内容的に連鎖しながら構成されている。

このブログの構成とよく似ている。
それも当然だ。

実は、バルト先生は私の、このブログの恩人なのだ。
バルトに断章という形式を教えてもらわなかったら、17年も、845回もこのブログは続かなかった。

バルト先生には、まとまったテキストを書くのに必ずしも起承転結にこだわらなくていい、ということを学んだ。
そうすると、自然にテキストが出てくるようになった。
テキストが次のテキストを呼び出すという好循環が生まれた。
そして17年も続いた。

私のことはさておき、「記号の国」には文楽についての3つの断章、俳句についての4つの断章もある。
とりわけ俳句については熱が入っている。
バルト自身が語っているように、俳句はバルトの考え方やスタイルに大きな影響を及ぼしたようだ。

むろんバルトは俳句をフランス語訳を通じて理解している。
日本人がフランス語に訳したもの、あるいはイギリス人が英訳したもの(をバルト自身がフランス語に訳したもの)を通じて、理解している。

たとえば、「古池や蛙飛び込む水のおと」は、

古い池、
蛙が飛びこむ、
おお、水のおとよ。

となる(「記号の国」の訳者石川美子さんが日本語に再訳したもの)。
だから、バルトの理解したものは正確には俳句と言えないものかもしれない。

しかし、バルトの直感はフランス語訳を介しても俳句の本質に達したようだ。
バルトは、蛙が池に飛び込んだ時のポチャンという音のあとには意味が中断してしまう、と言っている。
また、「俳句は理解しやすいものでありながら、なにも意味していない」とも言っている。

いったいに、この本にはエクリチュール、空虚、中心と並んで意味という語も頻出する。
西洋では、中心は空虚であってはいけない。
意味をぎっしり詰め込まなくてはいけない。
そんな強迫観念があるようだ。

バルトはそのことを指摘している。
そして、中心を定め、そこは意味で充実していなくてはならない、という西洋の強迫観念に息苦しさを感じているようなのだ。

日本では中心はあるにせよ、東京の都市構造のようにそこは空虚である。
意味を詰め込もうとしない。

俳句についても、文楽についても、日本料理についても、そのことを繰り返し述べている。
バルトが日本で意味の重圧から解放され、楽しくこのテキストを書いたことがよくわかる。

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2022年9月18日 (日)

バルトの断章

ラカンに比べるとロラン・バルトのテキスト(の日本語訳)はまだしも読みやすい。
たとえば、こんな具合である。

ところが、わたしが話題にしている都市(東京)は、つぎのような貴重な逆説をしめしている。たしかに東京にも中心はあるのだが、その中心は空虚だということである。立ち入り禁止になっているとともに、だれの関心も引くことのない場所ー樹木の緑で隠され、お堀で守られて、けっして人目にふれることのない天皇が、つまり文字どおり誰だかわからない人が住んでいる皇居ーのまわりに、東京の都市全体が円をえがいて広がっている。
(ロラン・バルト 石川美子訳 「記号の国」みすず書房 2004)

日本語話者にとって身近な題材を取り上げているため、読みやすいのは当然かもしれないが、ここには日常の生活実感につながった手がかり、足がかりがたくさんある。

内容はラカンと同じくらい急斜面だが、よじ登れないことはないな、という気にさせる。
また、同じ題材について、ラカンならどんなふうに書くだろう?という興味もある。

「記号の国」はバルトが1960年代後半に日本を三度訪問、滞在した時の経験を踏まえて1970年に出した本である。

バルトは写真についても関心が深く、写真のエクリチュールをテーマにしたテキストもある。
なので、この本にもバルト自身の解説による写真がたくさん掲載されている。

古代装束をまとった舟木一夫、歌舞伎役者、二条城の廊下、石庭、相撲、毛筆による漢字など伝統文化に関するものがが多いが、パチンコ風景、タレントのブロマイド、全学連の闘争風景などもあって面白い。
乃木将軍とその妻の殉死前日の写真なんてのもある。

テキストとこれらの写真がバルトの意図のもとに渾然一体となっていて、楽しいけれども気の抜けない本だ。

この本は、表面的には日本の伝統文化や見聞きしたことと西欧のそれとを対比した比較文化論のようだけれど、ほんとうはバルトの考えるエクリチュールが主題なのだ。
実際エクリチュールという語は、この本の中に頻出する。

でもバルトの考えるエクリチュールとはなんだ?
この本を楽しく読みながらも、つねに悩んでいたのはそのことだ。
このフランス語にはぴたりとあてはまる日本語がないので困る。

広辞苑には、「書くこと、書かれたもの」と出ているけれども、少なくともバルトの場合、これではだめ。
内田樹さんはその人が属している階層や社会集団に特徴的な「語り口」と言っている。

この本における「エクリチュール」にあたる日本語としてもっともふさわしいのはなんだろう?
この本を読みながらずっと考えていたのだけれど、いまだにわからない。
あなたなら、どんなことばがいいと思いますか?

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