文字のワンダーランド
前回の終りに、ローマ字と科学はひょっとすると双生児かもしれない、というお話をした。
本当に双生児かどうかは昔のことだからよくわからないが、仲がいいことはたしかである。
私が今この瞬間も大きな恩恵をこうむっているIT技術もローマ字の上に築かれている。
漢字でプログラムを書いたり、メールアドレスを作るのはむずかしい。
だからといって、ローマ字と科学を生んだ西の分析精神だけで何もかも片付くわけではない。
科学技術の進歩がわたしたちを幸せにする、という素朴な信仰がとうに失われたという事実がその何よりの証拠だ。
うまく言えないけれど、科学技術の手に余る部分、科学技術の負の部分をカバーするのが東の総合精神なのだと思う。
人間、分析一辺倒でも総合オンリーでもだめなのだ。
要するに、ローマ字も漢字も仲良くやろうよ、ということである。
そう思って町中に出れば、お店の看板やさまざまな案内表示のなかで漢字とかなとローマ字が仲良く暮らしている光景が目に入る。
パリならほぼローマ字だけ。
カイロやカルカッタでもアラビア文字やヒンディ文字のほかはローマ字が多少目につく程度である。
ソウルでもほとんどハングルばかりである。
漢字はめったに見かけないしローマ字も日本よりよほど少ない。
町中の文字景観だけではない。
コミックを開けば、漢字、ローマ字、ひらがな、カタカナが絵と一緒になって楽しい饗宴を繰り広げている。
まさに文字のワンダーランドですね。
本当に、日本列島ほど多様な文字たちが仲良くたわむれている空間はないと思う。
メソポタミアから東西に分かれて旅立った文字が、数千年の時を経て極東の日本列島で再会を果たしたのだ。
文字たちのその再会の喜びを、街を歩いてもコミックを開いても感じとることができる。
漢字に代表される東の総合精神とローマ字に代表される西の分析精神の出会い…。
大げさにいえば、日本では東西の文明が融合しているのですね。
そうそう、ワンダーランドで思い出したのだけれど、村上春樹さんの新作の表題は「1Q84」。
その2分冊は、「上、下」や「巻之一、二」ではなく、「book1」、「book2」と名づけられている。
日本語で書かれた作品なのに、表題には日本語の文字はひとつもない。
そして、日本の読者はそのことをまったく奇異に感じていない。
日本が文字のワンダーランドであることは、これだけでも明らかですよね。


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