口語と文語
柳田国男の文体はくねくねしていてあまり好きじゃない。
しかし、「遠野物語」の序文はいい。
繰り返し読んだ。
笛の調子高く歌は低くして側にあれども聞きがたし。日は傾きて風吹き酔いて人呼ぶ者の声も淋しく女は笑い子は走れどもなお旅愁をいかんともする能はざりき…、
こんな名文が続く。
私がこの序文に惹かれたのは、これが文語で書かれているからだと思う。
「遠野物語」が発表されたのは明治43年だが、この頃は日本語の書きことばの変革期に当たっていた。
すなわち口語が台頭してきたのだ。
夏目漱石は、柳田国男より8歳年上だが、小説はすべて口語で書いている。
「遠野物語」の2年前に書かれた「三四郎」も口語である。
つまり柳田国男はこの頃、口語でも文語でもどちらでも書けた。
事実「遠野物語」の前年に発表された「後狩詞記」の序文は口語で書かれている。
柳田国男は口語と文語を意識的に使い分けていた。
そして「遠野物語」には文語のほうが効果的と判断したのだと思う。
いま日本語の世界は口語に覆いつくされている。
私ももう文語は書けない。
その意味では柳田国男の時代のほうが、表現の選択肢が広かったのかも知れない。
ただ、短歌や俳句のような短詩系文学の世界では今も文語的表現が残っている。
たぶん文語のほうが調子を取りやすいからだと思う。
五七五のような定型詩には文語のほうがよくフィットする。
柳田国男も詩歌から出発したから、そのことはよくわかっていたのだろう。
だから「遠野物語」を文語で書いたのだ。
以上は書きことばでの文語と口語の比較である。
しかし、話しことばでは口語は大昔からあった。
公文書の漢文とかかわりなく、人々は口語でコミュニケーションをとっていた。
口語は時代の変化に応じてころころ変わる。
でもスタイルそのものはそんなに変わらない。
私達現代人でも江戸時代の人と十分意思疎通できる。
したがって口語と文語の比較は、書きことばにおいて重要な意味を持つのだ。
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